[コメント] 西鶴一代女(1952/日)
「堕ちる」ことが先にたち「生きる」ことの情感が見えない。流転のための転落の連続は哀惜や共感を生まないのだ。唯一、城内で息子を追う騒動にのみ彼女の魂が見える。思い起こせば、女が明確に意志(それも感情に煽られた)を示し、貫こうとしたのはこのときだけ。
(ぽんしゅう)
投票
このコメントを気に入った人達 (2 人) | [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。