[コメント] レスラー(2008/米=仏)
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幼少時代、プロレスというのはいかがわしさの象徴だった。足のあるところに走っていって勝手に当たって勝手に倒れる「十六文キック」。相手が倒れていても悠長に観客にアピールし、立ち上がるのを待つ。トップロープに昇って飛ぶという行為も昇っている最中は隙だらけである。全く以って合理性・妥当性に欠ける。僕はこの頃勝つか負けるかを目的にする「総合格闘技の文脈」でプロレスを見ていたのである。ショーということは認識していたが、その認識に若干侮蔑の意味があったことは否めない。
時は流れ、日本で総合格闘技が市民権を得だした頃、テレビで金髪の大きな日本人とひげ面のアメリカ人が何の小細工もなく殴りあう試合を見た。興奮した。間違いなく興奮をした。戦うという事はこういう事かと思ったものである。だが、この試合によって総合格闘技とプロレスが志向しているものが全く違うことを認識した。プロレスは過程を見せるものだったのか。ずいぶんと気づくのが遅かったとは思うが、それからなんとなくではあるもののプロレスの楽しみ方というのを自分の中で形成していったと思っている。
翻って本作。絶対数が減ろうとも観客が求めているものに答え続けるランディは最高のレスラーである。しかし、信頼を取り戻しかけたたった一人の娘との約束も結果的にすっぽかしてしまうラムジンスキーは最低である。ランディとして得ていたはずの物は形もなく、トレーラーハウスの家賃の支払いも滞るような生活。しかし彼は、それを何のせいにもしない。自業自得として自分の中に受け入れ、ランディという役割を演じるための「肥やし」にする。その決意を語るのが最後の試合の前のマイクパフォーマンスだが、この覚悟が心を打つ。
プロレスは生死を賭ける物ではないという批判は真っ当である。だが、ランディはラムジンスキーとしての自分に落とし前をつけるために仲間の手助けを自ら振りほどいてでもラム・ジャムを飛ぶ。拍手すればいいではないか。声援を送ればいいではないか。結果なんてどうでもいい。それを示すブラックアウト。名作である。
(2009.06.17 109シネマズMM横浜)
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