[コメント] レイチェルの結婚(2008/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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何か設定が舞台劇のようでもある。気分が悪くなるほど揺れる手持ちカメラ。それは妹の心理状態を表わしている。観客はジコチューでどうしようもない女の子アン・ハサウェイと、否が応でも映像という媒体物で運命を共にしなければならなくなる。
薬中毒の治療教室で知り合った男と姉の結婚式準備の最中にもうセックスをしてしまう女である。姉の第一付添い人を無理矢理交換させてしまう向こう見ずな厭な女である。何処にも居場所がないせいか常に主役でないと気がすまないほんとジコチューの女である。
こういう女に限ってすべての原因が自分にあるのが分かっているのに腫れ物に触るように応対されるその雰囲気に耐えられない。それでまた薬物に頼り、新たな悪循環に陥ってきたのであろう、、。
でも、この女は現代の人間のわれわれの生の姿を表わしている。ちょっとした事で弱くなってしまっている素のわれわれの姿でもある。観客は彼女中心の手振れカメラと共に嫌悪感を感じてもその赤裸々な映像を凝視しなければならない。女は駄々っ子のように母親に寄り添おうとして失敗すると、絶望的になり自動車を森の中に驀進させる。
ここでカメラのブレが止まる。目のあざを隠しながら出席する姉の結婚式は定位置カメラだ。安定している。彼女の心も一応安定しているのだろう。だが、延々と長く続く姉の結婚式。冗漫な映像の連続。普通であり、平和であることとはこんなにも退屈なものなのだろうか、、。そう、安定しているということは退屈だけれど幸せなことなのだ。人は普通という名の幸せに気付くことが少ない。
ドラマは彼女がまた施療院に戻るところで終る。このホームドラマは決して特異なものではない。多かれ少なかれ似たような傷のしずくはどの家庭にもあるものだ。家族とはどんなに逃げようと、みんなばらばらになっても家族という薄い強い膜が覆っている。それが血縁というものでありホームなのであろう。
最近のアメリカ映画ではジャンル的に珍しいホームドラマだ。秀作である。
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