[コメント] エンジェル(2007/英=仏=ベルギー)
映画を見終った人むけのレビューです。
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私は冒頭から最後に至るまで、それこそロモーラ・ガライが墓に埋められるカットを見てもまだこれはガライの夢オチの話なのではないかと疑っていた。それほどにこれは夢のような物語だ。ガライが作家として成功し、愛する男と結ばれていくさまも、また不幸に陥っていくあり方もどこかで見たこと聞いたことがあるようなもので、まるで夢である。それはまた「紋切型」と云うこともできるだろう。移動およびハネムーン・シーンにおける露骨に稚拙なスクリーン・プロセスや、プロポーズ・シーンにおいて突如降り出す雨も(「現実には起こりえない」ではなく「現実よりもむしろ夢に近い」という意味での)「非現実性」の表現として紋切型であり、夢のようだ。
ところで、ガライは作家として天才的な才能を持っているということになっているようだが、その才能が端的かつ客観的に画面として示されている箇所はひとつもない。確かに彼女がしたためた文章の断片が私たちの耳に届けられることはあるが、その断片のみから才能の有無を判定することは不可能であるし、さらに云うならば、その文章自体がいささか紋切型ではなかっただろうか。「ガライには才能がある」というのはこの物語の根幹を成すものであるにもかかわらずそれが映画的に提示されていない。それは平生ならば決定的な欠点となるのだが、この映画においてはそう云い切るのは難しい。というのはオゾンがこの物語を徹頭徹尾夢のようなものとして語っているからだ。シンデレラ・ストーリーよろしく成功を収めていくガライに本当に才能があるのかどうか観客に対して明瞭に提示しないこと、それはこの物語を夢のように語ろうとするオゾンの演出意図からすれば必然であり、紋切型を多用した語りがますます物語を夢に近づける。
紋切型は夢に近似する。いや、それはあるいは論が転倒しているのかもしれない。夢として既に私たちの脳髄奥深くに共通して刻み込まれているもの、それが紋切型の源泉であり、すなわち夢に近似しているからこそ紋切型は紋切型でありえるのかもしれない。
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