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[コメント] Death Note デスノート the Last name(2006/日)

台詞の致命的な間違いと沢山のつっこみどころはあれど、ある程度面白くなって当然の素材を無難に料理したという感じ。
ロボトミー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







原作、前編のネタバレも含みます。

原作はデスノートのルールを用いて様々なトリックを作り出していたのだが、 本作でもデスノートのルールを上手く用いてオリジナルのクライマックスを作り上げたことは評価できると思う。

原作ではLは月に殺されていて、 実際に月を追い詰めたのはLの後継者であるN(ニア)である。

故にLしか出てこない本作では、 Lも月も死ぬという両方を満たすことは難しいのではないかと考えていたが、 原作では月に殺される夜神総一郎を生かしながら Lも月も死ぬ物語を作る事が出来たのは、なるほど良く考えたと思う。

なかなか楽しませてもらった。 大甘で☆4をつけようとも思ったのだが、 どうしても台詞の面で納得できない箇所があったので☆3にした。

一つは月の名前をデスノートに書いたときの死神リュークの台詞である。 「デスノートを使った人間が天国や地獄に行けると思うな」 実はこの台詞、原作ではデスノートを拾ったばかりで、 月とリュークが初対面のときにリュークが言った台詞である。 映画ではこう続く。 「死の後にあるのは無だ」 原作では月が死ぬときにこの事実が明かされる。

つまり、デスノートを使おうが使うまいが、 人間誰でも死んだら平等に無が訪れるというのが原作の結論だったはずだ。 私はこの考え方に共感したのだが、 映画ではさも天国や地獄があるような言い回しで、それに共感する人もいるだろうが、 私は違和感を感じた。

さらに、原作でリュークは初対面の月に向かってこうも言っている。 「お前が死ぬときは俺がお前の名前をデスノートに書くことになる」 この台詞があったからこそ、リュークが月を殺すことに必然性があった。 それが月とリュークの確認事項だからだ。

しかし映画では前後編ともにこの台詞はない。 だから最後にリュークが月の名前を書いたときにかなりの違和感を覚えた。 リュークが月を殺す必然性が皆無だ。 リュークがただの愉快犯に終始してしまっていて、 人間社会が死神に振り回されただけの印象になってしまう。 人間社会を振り回したのはあくまで月とLであるべきなのに。

「お前が死ぬときは俺がお前の名前をデスノートに書くことになる」 この台詞を入れなかったことは致命的な間違いだったと思う。

でも、片瀬那奈の脚には本気で萌えました。 昔から思ってたけど、金子修介さん絶対脚フェチだよね。

(評価:★3)

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