[コメント] 父親たちの星条旗(2006/米)
このカタルシスゼロの戦闘シーンを提示するにあたって、イーストウッドは「主観を交えずにリアルに戦闘を描くことで反戦的メッセージを浮かび上がらせる」などという安直な目的を持ってはいない。「そこで戦闘が起こっていたからそれを撮っただけ」なのだ。
銃後/戦後の風景はメディア論・大衆論として語られているようにも見えるが、ここでもイーストウッドはあくまでその風景を「そのまま」撮っているに過ぎない。それによって風景自体がメディア論・大衆論を内包していることを(結果的に)暴いているだけだ。ここにイーストウッドの何らかの「意思」が介在しているとすれば、それは「最適なショットを最適なカッティングで繋ぐ」という純粋に映画に即した意思でしかない。
だから、この映画から過度にイーストウッドの戦争観・政治観を読み取って云々することは慎むべきだろう。もちろんイーストウッドがそんなものをまったく持っていないとは云わない。また、それらがまったく作品に反映されていないということはないだろうし、イーストウッド自身それについてインタヴューなどで答えてもいるだろう。だが、私たち観客がそれに振り回されてしまっては映画を見失うことになる。私たちが見るべきはあくまで映画そのものである(インタヴューなんてリップ・サーヴィスだ)。そしてイーストウッドはあくまで映画監督なのだ。映画監督の仕事は映画を撮ることであり、政治的主張を表明することではない。イーストウッドは政治をやりたかったら実際に政治家になってしまう人間である。その彼が現在映画監督という職業を選択していることの重みを、私たちはもっと真摯に受け止めねばならない。
私は、イーストウッドの硫黄島二部作はほとんど決定的な戦争映画だとさえ思う。これからは余程の戦略を持った者か馬鹿者でなければ戦争映画を撮ることなどできないのではないだろうか。
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