[コメント] 悪太郎(1963/日)
後の『弘高青春物語』という青春思い出作品を先に観ているもんだから、『けんかえれじい』と併せ、鈴木清順の持つ「青春のイメージ」が似通っているのがよく分かる。ていうか同じだ。おそらく江戸っ子の彼自身が弘前で過ごした学生時代がそのまま反映しているのだろう。もしくはボケちゃって、過去作品を自分の青春と勘違いしているかだが。
この映画を含む1963年は鈴木清順の大きなターニングポイントと考えられる。 『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』『野獣の青春』『悪太郎』『関東無宿』と4本もの作品が公開されている。まあ、最多は61年の6本なのだが。
それまではショーモナイ企画映画がほとんどで、前述した様に多少なりとも「自己」を投影した作品というのが見当たらない。まあ、俺が観てないだけかもしれないが。そしてこれ以降、現代劇はグッと減ってくる。彼自身「得手」の時代・ジャンルを見つけた時ではあるまいか。
そして次作が衝撃的な『関東無宿』。それまで片鱗を見せていた清順美学、例えば本作では度々出てくる(異様とも言える)回想シーン等がそうなのだが、その様式美が一気に花開いたのが『関東無宿』なのである。画面(えづら)としての清順美学が堂々と頭角を現したのが『関東無宿』なら、精神的な清順美学は『悪太郎』なのではないだろうか。
日活時代の清順作品は、会社の求める「企画物」と「清順美学」が常にせめぎ合っている。 本作まではまだ会社側が優位で、清順らしさは「ゲリラ的」に散見されることが多い。 そしてこの年、ほぼ対等になった。翌年翌々年辺りまで対等期間が続き、66年には完全に逆転する。『けんかえれじい』そして『殺しの烙印』だ。 ここでもまた「精神面」と「画面」がセットになっているのが興味深い。
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