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[コメント] 原爆の子(1952/日)

被爆後、7年を経てもなおあまたの瓦礫を残す広島の姿を、劇映画の背景としてキャメラに納めるということ自体が映画史上において極めて貴重な行為だ。さらに、あの惨劇のなか「生き残った者は何をなすべきか」という新藤兼人の思考もまた、極めて真摯である。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







主人公の孝子(乙羽信子)は、自らの家族や教え子、そしておそらくは多くの知人を原爆で失いながら、自分は生き残った存在だ。孝子の表情はどこか虚ろで、生き残った旧知の人々との再会を喜ぶ顔にも心からの笑みはなく、むしろ寂しさが滲む。それは、あのとき命を断たれた者や、あの日以来傷つき痛みを抱え込んでしまった者たちをまえに、生き残ってしまった者の戸惑いの表れのように見える。

後年になって、この「生き残った者」の心情は『黒い雨』(89)の矢須子(田中好子)や、『父と暮らせば』(04)の美津江(宮沢りえ)、そして『夕凪の街 桜の国』(07)の皆実(麻生久美子)の悲しみとして描かれる。しかし、彼女たちのような明確な思いや怒りは、新藤兼人が描く本作の孝子(乙羽信子)の心の中には醸成されていないように見える。おそらく、生き残った者たちが明確な思いや怒りを抱くには、もうあと少しの年月が必要だったのだろう。

新藤兼人もまた広島の生まれである。終戦の年、すなわち広島に原子爆弾が投下されたときは兵士として関西にいたという話しを当人が書いていたのを読んだことがある。新藤もまた、直接の被爆はまぬがれたものの「生き残った者」としての自覚をいだき「何を為すべきか」という自問自答のなかにいたに違いない。

この時点で新藤にできたことは、被爆の傷を残す生の広島の姿をフィルムに納めることと、悲劇がこれ以上拡散しないよう、救える可能性がある目の前にいるに者に対して、とりあえず手を差し延べることだったに違いない。だからもし、孝子が半ば強引に幼い太郎を広島へ連れ帰るという行為に、今の価値観では計れない違和感が残るとしたら、その違和感こそが原爆投下という暴挙が生んだ矛盾そのものなのだ。

この矛盾を強引にでも乗り越えるという行動、そして復興の兆しと瓦礫が混在する広島の風景に、新藤兼人の映画作り対する真摯さを感じた。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ペンクロフ[*]

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