[コメント] オアシス(2002/韓国)
映画を見終った人むけのレビューです。
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いわれ無き無邪気な不良男が、生きる目標を見失なった女と出会い、惹かれ求め合う。そして世間という名の壁に行く末を阻まれるという、いささか古典的な展開(鑑賞中ずっと60年前後のいくつかの日活映画を思い起こしていた)を持ちながら、この物語が今の私達に感銘を与えるのは、私達が主人公の二人にも、また二人の家族(すなわち世間)にも成り得るという現実が作品の根底に込められているからだ。
かつての弱者は貧富の差や、身分の違いにより生み出された。今は、人の心に巣くった驕りや偏見が弱者を生み出す。カタチがなく見えない分、厄介でたちが悪い。そして、それは誰の心の中にも潜んでいるのだ。偏見により差別されたものは弱者として世間から切り離され、逆に驕り差別した者もまた世間に順応するため己の良心を売った弱者でしかないのだ。
私は惚れた女と二人きりで気の置けない時を過ごしたい。一緒に美味いメシも食いたい。家族や友人に紹介し祝福もされたい。そしてベッドをともにしたい。ジョンドゥ(ソル・ギョング)のコンジュ(ムン・ソリ)に対する思いと、いささかの違いもない。ジョンドゥは私であり、コンジュは私の女なのだ。愛情においてその差はまったく存在しない。二人の愛は普遍的であり、私達の愛と等価に交換が可能なのだ。
逆に私が一家の長であり、不慮の災いに見まわれ母や妻を厄介者の弟に委ねなければならなくなったとしたら、その弟が自分の身代わりとなってくれたほうが残された者達にとってどんなに幸かと考えないとも限らない。また、体の不自由な肉親をかかえた私が、妻やこれから生まれる我が子とともに歩む将来の生活を考えた時、その介護の負担と引き換えに何らかの見返りを望むかもしれない。生活ということを考えれば、私達の良心のもろさもまたジョンドゥやコンジュの家族の行為と等しく交換可能であり、私達もまた心の弱者なのだ。
愛する人を得たときの心は驚くほど純真であり、世間に同化されていくときの心が恐ろしくもろいことを、私達は知っている。だからこそ私達は、素直に二人のオアシスの美しさに魅せられ、その愛の純粋さに憧れるのだ。
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