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[POV: a Point of View]
松竹ヌーヴェル・ヴァーグ三羽烏

A:大島渚(オオシマ)・・・京大卒業後昭和29年松竹大船撮影所入社。独自の着眼点から表現技法を追求した生粋の扇動屋。女優・小山明子を娶り退社 B:吉田喜重(キジュウ)・・・東大卒業後昭和2?年松竹大船撮影所入社。冷徹な人間批評家にしてオールマイティな実力派。女優・岡田茉莉子を娶り退社。 C:篠田正浩(シノダ)・・・早大卒業後昭和28年松竹大船撮影所入社。私大卒の肩身の狭さを逆手にとり広く人材を求め安定作を量産。女優・岩下志麻を娶り退社。 ***おまえらみんなズルイって。 
A★5日本の夜と霧(1960/日)大島作品には「参加すること」が求められているのである。当事者意識無しに画面を眺めるだけではアラ以外の何者も見えてこないのである。これ程までに力強く論理的で、しかもミステリ的興奮に満ち溢れた作品は後にも先にも無いのでは。 [review]投票(6)
A★5愛と希望の街(1959/日)貧乏人に手を差し伸べる金持ちが不美人ってのも大島リアリズムの一環なのだろうか。投票(1)
A★4太陽の墓場(1960/日)そうだったのか、佐々木功の「宇宙戦艦ヤマトのテーマ」はドヤ街が育んだのか。 [review]投票(1)
A★2青春残酷物語(1960/日)この頃量産された無軌道青春モノって映画も小説もホントつまらないよね。大映『処刑の部屋』(監督:市川崑 原作:石原慎太郎)も同じように退屈だったけど演技・演出はこれより数段上だった。孤軍奮闘してた久我美子が不憫。投票(3)
B★4血は渇いてる(1960/日)「血は」というよりは「血に」、ドライというよりサースティなのだ。センセーショナリズムへの警句は、それを売り物にした松竹ヌーヴェルバーグ自身、及びそれに続く当時の日本映画全体への戒めでもある。喜重はこの後、愛と情念しか描かなくなる。投票
B★4ろくでなし(1960/日)「まったく、なってないな」「なってない」 乱痴気騒ぎの後、浜辺で津川と川津が呟いたこの台詞にこそ、私の信じるところの<青春>が宿っている。焦燥と退屈。貪欲と虚無。私は其処から、抜け出せただろうか。投票
B★3秋津温泉(1962/日)映画と映画ファンには中身ばかりでなく「見た目」も大事だ。小汚い格好をして腕組みして哄笑してけつかる自称映画マニアなぞ死んだ方がよいとさえ思っている。喜重先生は、自身の結構渋目の風貌に反して、ときどき無茶をなされる。 [review]投票
B★3嵐を呼ぶ十八人(1963/日)展開に大した面白みはないが少年労働者たちの豪放な描写が良い。共通の敵を意識することでしか育まれ得ない団結は、愛とも友情とも成り得ない、モロく儚いものであるけれども、しかし、彼らにはそれが必要だった、ということだろう。投票
B★1日本脱出(1964/日)ギャーギャーうるさい。投票
B★0甘い夜の果て(1961/日)
C★5乾いた花(1964/日)池部良の倦怠と老婆心に揺れる複雑な表情にシビれまくり!彼がノワール調のモノクロ画面を、戸田重昌の美術セット内を動くだけで、それだけで映画は成立してしまうのであった。投票
C★4暗殺(1964/日)冒頭の時代背景解説、句読点としての静止画挿入、ラストの主観カメラなど配慮は行き届いてるが、台詞化された音読専門用語を残さず聞き取り物語を掌握するにはそれなりの知識が要る。綿密取材に基づく大胆仮説が決め手の司馬文学と篠田のハッタリめいた演出は相性が良く、丹波八郎・佐田竜馬・木村只三郎は其々適役。投票(1)
C★3涙を、獅子のたて髪に(1962/日)松竹ヌーベルヴァーグ版『波止場』。これが主演デビュー作となった加賀まり子がとってもキュート。 [review]投票
C★3乾いた湖(1960/日)デビュー作『恋の片道切符』の大不評でいきなりの窮地に立たされた篠田が放った起死回生の一作。実際の出来はともかく時代を切り取った本作はスマッシュヒットを記録。ノンポリ監督の似非社会派映画渡世、ここにはじまる。投票(1)
C★3夕陽に赤い俺の顔(1961/日)七人の殺し屋。渡辺文雄を始めメンバーがあんまりダサ恰好良いんで思わず人に奨めまくりたくなります。投票
未登録作品 C:『恋の片道切符』『我が恋の旅路』『三味線とオートバイ』『私たちの結婚』『山の讃歌 燃ゆる若者たち』
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