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[あらすじ] 君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956(2006/ハンガリー)

1956年ハンガリーの首都ブタペストを中心に、ソ連からの独立や民主化を求めた市民運動が盛り上がるのに対し、当時のソ連がブタペストへ軍隊を派遣してこれを鎮圧した「ハンガリー動乱」と言われる歴史的事件と、その直後のメルボルン・オリンピックの水球競技においてハンガリーとソ連が対戦し、「メルボルンの流血戦」と後に呼ばれた試合となった史実を、若い二人の恋をからめて描く。1956年10月、オリンピック連覇を目指す「無敵のハンガリー水球チーム」の花形選手カルチイヴァン・フェニェーは大学の学生集会で、独立学生連盟の活動家ヴィキカタ・ドボーに出会い、彼女の気を引こうと市民デモに参加していく。(120分)
シーチキン

「ハンガリー動乱」について。

1956年はソ連共産党大会において、いわゆる「スターリン批判」がなされた年であり、さらにソ連共産党を中心とする共産党の国際組織「コミンフォルム」が解散した年であった。これらを受け、東ドイツ、ポーランドなどでソ連からの「独立」と民主化を求める運動が活発化した。

その最大の規模となったのがハンガリーの市民運動であり、10月23日の首都ブタペストで民族独立と民主化を求める市民デモが行われた。このデモはその夜から秘密警察などと衝突し、事実上の武装蜂起へとなっていった。

10月24日にはソ連軍が出動し武力鎮圧を試み、蜂起した市民との戦闘が始まった。25日に成立したナジ・イムレ政権は自由選挙実施や駐留ソ連軍の撤退を打ち出した。

これに対し再度ソ連は大規模な軍隊をブタペストへ投入。ナジ政権は11月1日にはワルシャワ条約機構からの脱退と中立を宣言したが、4日にはソ連軍がブタペストを完全に制圧しナジ政権は崩壊させられた。さらにナジ・イムレは亡命したものの、ソ連軍に捕らえられ処刑された。

この武力衝突による死傷者数は2〜3万人と言われている。この事件は、ハンガリーでは長い間「反革命」事件として扱われてきたが、1989年1月にハンガリー社会主義労働者党は「反革命」という評価から「人民の蜂起」という評価へ転換した。

メルボルン・オリンピックは1956年11月22日から12月8日まで開かれた。

その水球競技ではソ連とハンガリーが準決勝で激突し、ハンガリーの主力選手が乱闘の結果流血したことから「メルボルンの流血戦」と言われている。同オリンピックではハンガリーは100人の選手団を派遣し、ソ連、アメリカ、オーストラリア、に次ぐ9個の金メダルを獲得しているが、終了後に45人が亡命した。

なお原題は「愛、自由」の意。ハンガリーでは革命50周年を祝った2006年10月23日に公開され、記録的な観客動員を果たした。

またプロデューサーのアンドリュー・G・ヴァイナは、12才の時に家族とともにハンガリーからアメリカへ亡命してきた。その後、ハリウッド・プロデューサーとして、『ランボー』シリーズ3作、『トータル・リコール』、『ターミネーター3』などを手がけている。

(評価:★4)

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