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[コメント] さかなのこ(2022/日)

サリエリのいないアマデウスの物語。のんは「映画の子」。
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







のんは「映画の申し子」だと思ってるんですが、この映画はのんの魅力で引っ張る映画ではないように思います。もちろん彼女はいつまで見ていても飽きないんですけどね。かと言って、ストーリーの面白さで引っ張る映画でもない。どちらかというと、沖田修一らしい「哲学ファンタジー」。簡単に言うと、「嘘のような本当の話」であり「本当のような嘘の話」。

ラストで、小学生たちにワーッて追われるシーンがありますが、これは『キートンのセブン・チャンス』じゃないかと思うんです。この映画、キートン的というかチャップリン的というか、全体的にパントマイム的な笑いが多いように感じます。磯村勇斗や岡山天音や柳楽優弥が出てくるヤンキーのクダリなんか典型例。個人的には、子供時代のタコのクダリでゲラゲラ笑ったんですけどね。親父、そんなにぶっ叩かなくてもいいだろうに。

この映画のターゲットはファミリー層なのかもしれません。子供に分かりやすい笑いがパントマイム的な動きの笑い。そして、この映画で感動させたい相手は、その親たち。この話のディープな部分を背負っているのは「母親の覚悟」だと思うんです。発達障害と言っていいのかどうか分かりませんが、「天才」の話なんですよ。「これでいいんだ」って親の肝が据わっていないと育てられない。井川遥は肝っ玉母さん。井川遥は京塚昌子(<言いたいだけ)。

天才の話って、天才本人に葛藤は無いんですよね。だって天才だから。だから天才自体はドラマになりにくい。天才を描く映画は、その周囲が振り回されて困惑したり、その才能に嫉妬したり、諦めたりする「天才を巡る周囲の人々」が実はドラマを動かしている。『アマデウス』のサリエリとか、三谷幸喜の『清州会議』とか。天才秀吉を目の当たりにして「俺達は、天下は取れないけど、天下人を見る目はある」と諦めの境地に立つんですよ。たしか池田恒興の台詞。そして、言葉に出さないけど丹羽長秀の心情。

時代だなあって思うんですが、この映画は「負」の部分をほとんど描きません。「天才」を巡る「困惑」は描かない。両親は離婚した感じですが、そこは明確に描かない。常に「ポジティブ」で、天才ミー坊のおかげで周囲が「ハッピー」になる様しか描かない。方向性としては、同じ沖田監督・前田司郎脚本の『横道世之介』と同じ。もしかするとこの手の話の先祖は黒澤明『白痴』なのかなあ?

これが説教臭く語り始めたらアウトなんですよ。この映画は言葉にしないのがいい。個人的に面白いかどうかと問われたら、感情のぶつかり合いのない、サリエリのいないモーツァルトの話は面白いと思わないんだけど、でもなんか年のせいですかね?笑顔で許せる映画。

あと、のんの起用で主人公を中性化して「色恋」を排除していますが、夏帆ちゃんとのクダリは恋だったと思うんです。だって、夏帆ちゃんは日本一の魚顔女優だから。たしか『うた魂♪』はそんな話だったよね?

余談

ちなみに、近所のサミットではちゃんと「カラフトシシャモ」で売ってました。

(2022.09.03 吉祥寺オデヲンにて鑑賞)

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)けにろん[*] [*] さいもん

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