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[コメント] 二十才の微熱(1992/日)

袴田吉彦を道化にして周辺人物を彫琢する作劇。なかでも石田太郎との夕餉の件が秀逸で、なんという悲喜劇だろう、彼の滑稽さに日陰者を強いられたLGBTQの歴史が刻みこまれている。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
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袴田吉彦を道化にして周辺人物を彫琢する作劇。大学生の袴田は「好きじゃなくてもセックスできるし」「服脱いで(セックス)しませんか」「何でもないものになりたい」「自分の寂しさは自分だけのものだ」と名言を吐き続け、プールの脱衣所に戻って初めてキスマークに気づくようなヌボーとした人物として造形されている。山田純世は彼を「あの男、中身無さそう」と批評している。彼のようなタイプがモテる世の中は韓流ブーム以降だろうか。彼がラスト、遠藤雅の涙にもらい泣きをするまでを本作は本筋としている。

このため彼を取り巻く人物群像が映えた。袴田のゲイバーの後輩遠藤が好きで、遠藤が袴田を好きと知ってべらんめえ調に悩む山田がとてもいい。LGBTQが世間に認知されて、男女間最優先というヒエラルキーが崩れ去って恋愛劇は一挙に複雑化したものだ。事情を最後まで知らず袴田と男女間の付き合いを続け、ガススタで唐突に去られる片岡礼子は、このヒエラルキー崩壊を最後まで知り得なかったイモとしてある種断罪されている。どちらも袴田が好きな片岡と遠藤は袴田のアパートで二人きりになり、ギコチない会話の末に、遠藤のミシンを片岡が褒めるという男女の通念を逆転させた件に、いろんなものが込められている。

そして素晴らしいのは片岡の父石田太郎。袴田を買ってオナニーの仕方を尋ねたりしていたこの中年男は、娘が家に連れてきたボーイフレンドが彼と知って正に一言もない。この夕餉の風景を、映画は延々長回しで収めて袴田の嘔吐で終えている。石田は滑稽だが、その滑稽さには日陰者を強いられたLGBTQの歴史が刻みこまれている。元来性愛は特殊な恋愛環境以外に放り出されれば滑稽なものだが、LGBTQにおいてはこれが増幅されてしまう。悲喜劇と呼ぶにふさわしい名場面だった。

それは袴田と遠藤とで3Pに及ぶ金持ちボンボン風な橋口亮輔の突然の「好きでこんな所に来ていないんだ」という叫びとも共振している。遠藤は親にカミングアウトして母に泣かれ、父に自衛隊で鍛え直せと云われたと語っている。彼が終盤身に着けているシャツには「END RACISM 1991」と大書されてある。フラれた袴田との同衾を橋口に強要されて泣く遠藤と一緒に袴田は泣く。「自分の寂しさは自分だけのものだ」という名言は克服されたのだった。

その他、角砂糖喰ってニキビが増え続けるゲイバーの先輩の異様さも印象に残る。こういう具合に女性ホルモンが偏って出る者はいるものだ。ゲイバーから派遣の売春で月100万円稼ぐ、と語られている。片岡の母入江若葉が「近頃はフリーターってのもあるし。それで食べていけるし」と発言しているのがバブル。当時フリーターは停職を否定した賢い生き方を指したものだった。俳優は下手も混じっているし(特に電話の声でだけ登場する袴田の父親はひどい)撮影は凡だが構わぬ長回しが色んなものを引き出しているし、編集は冴えていた。繰り返された地下鉄のショットは隠喩なのだろう。

(評価:★5)

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