[コメント] 大阪の宿(1954/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
導入は喜劇で途中から人情ものの悲劇になる、という類型なのだが、喜劇から悲劇への転換点が早く来すぎるのではないだろうか。しかも落差が激しい。安西郷子が身を売って父親が死んで、水戸光子が盗みを働いて、という悲劇のつるべ打ちが来てもまだ映画は半分しか時間経過していないのだ。
導入はいいのだ。居酒屋のカウンターでむっくり起き上がる藤原釜足とか、ウィンクする左幸子とか、三好栄子の若い頃の踊りの写真とか、いいギャグが連発され、乙羽信子の酔っ払いとかでダラダラ流れる時間がとてもいい。この調子でもっと引っ張って笑わせてほしいという観客の希望は霧消させられる。
この後どうなるのかと思ったが、このどん底からの復帰を各人頑張るのだという後半はいいものだった。旅館のホテル化でパンパンもOKという三好の将来図が時代の記録だろう。ただ田中春夫の支店長の悪だくみ(彼のここまでの悪役振りは珍しい)、匿名組合(って何だろう)と自殺者、の展開は余計で散漫になった。あくまで宿屋の話にしてほしかった。
原作は社長の類縁である原作者の実体験の小説化らしく、下層階級覗き見体験の趣が小説にも残っている。まあそうやって文字も書けない人たちの実情が伝えられたのではあるが、ある種のパターナリズムが匂うのは仕方ないのだろう。「住んでいる世界が違うんだ」と訴える佐野に乙羽信子は「同じ世界に住んでいるんだと思っていましたわ」と返す。佐野はラストでこれを是として「みんな不幸だが自分の不幸を笑えるのはいいことだ」と纏める。これは労働運動のフューチャーも含めて映画のアレンジなんだろう、的確と思った。
しみじみとした送別会がいい。安西と三好と左が欠席しているのがいい。やたら泣く水戸光子、川崎弘子怒りの湯飲み叩き割り。乙羽の三味線。「犬でも三日飼われたら恩は忘れないよ」なる三好の台詞。すでに会社は違うがこれは松竹蒲田そのものだった。
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