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[コメント] 赤ひげ(1965/日)

まるでミゾグチが乗り移ったかのような長回しの俳優酷使は子役にまで及び、お泪頂戴の感想を拒絶する厳粛さに溢れている。香川京子根岸明美山崎努二木てるみ頭師佳孝
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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二木の件だけはドストエフスキー「虐げられた人びと」が原作(エレーナ)と知って深く納得したことだった。クロサワの最良の人物はいつもバタ臭く背景にキリスト教があり日本人のリアリズムから外れている。女だけに限っても『醜聞』の桂木洋子、『白痴』の原節子、果ては『蜘蛛巣城』の山田五十鈴浪花千栄子。『一番美しく』の矢口陽子だって『生きる』の小田切みきだって日本女性のタイプから遥かに遠い。

だから、本作の雑巾がけと乞食でしか世間と接する術を知らない二木の造形を不自然と取ってしまっては残念だと思う。一方で三船敏郎は相変わらずの講談調であり、併せてお茶漬けの味のリアリズムなど撮る気はないのだから。頭師を呼び戻そうと賄婦たちが井戸に叫ぶ声はまるで聖歌のように聴こえる。香川京子はクロサワの世界にあって唯一自然な女を演じ続けた名優だが、その彼女にまで五十鈴ばりの狂気を演じさせる辺り、本作のテンションはやたら高く、クロサワ流グロテスク・リアリズムの味がある。

精神病の扱いについては、香川を先天性と断じた(加山雄三の「精神分析」は失敗する)のに、二木は後天性である(加山の看護で自分を取り戻す)という区別をどう判断したものか判り難く、行き当たりばったりの治療をしているなあと見えてしまう。しかしこれは些細なことで、肝心なのは二木が看病して治ることだ。治療の現場を考えればこんなことはまずあり得ないだろう。語られているのはドストエフスキー流の恩寵と奇跡であり、これは殆どベルイマン(クロサワと仲が良かった)の世界なのだ。

ただ、連作短編の映画化にありがちなことに、まだら模様な出来になっちゃっている。明確な欠点は加山の結婚に至る周辺事情が半端なことで、サボタージュする序盤などどうでもよい描写だ。三船について行くという決断だけが大事なのだから、九割方削除して二時間半の尺にするべきだっただろう。前半強調された狭苦しい病室の息詰まる描写が後半忘れられているのも、娼家の主人杉村春子への視線が冷酷なのも引っかかる。

山崎との生活が幸せ過ぎて、震災をその罰だと感じて逃げた、という桑野みゆきの件は美しく、山崎の死相のグロテスクにもかかわらず和風、この辺は周五郎の世界なのだろう。ただ、揚足取りみたいだけど、この桑野の非科学的な行動にある切なさは、「貧困と無知」と闘う三船と微妙に齟齬を来していると思う。

本作は名匠のモノクロ最終作に相応しい撮影だった。二木の瞳へのピン・ライト連発も凄いが、頭師の死相の白塗りも凄い。この白塗り、『』の仲代に至るまで頻発されたがカラーになった途端に詰まらないものになった。撮影全般にもそれを感じる。桑野が歩む震災で崩れて波打つ瓦屋根、棚引く黒煙に見え隠れする大きな太陽。この力強く素晴らしいショットは、ほぼ同じ構図で『』の原爆事故後の地獄行でも再現されたが魅力を欠いた。クロサワはモノクロの監督だったと思う。

(評価:★4)

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