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[コメント] 悪魔を見た(2010/韓国)

大義が言い訳化して悪魔化するセレブビョンホンと、善をひっくり返して悪を引きずり出すミンシクが補完し合って助長する構図は『ダークナイト』の系譜上に乗って化ける余地もあったが、単なる快楽殺人鬼でしかなくジョーカーになり得ないミンシクの寸詰まり造形で、善悪の彼岸を描く作劇が矮小化する。ビョンホンの動かない能面の描写も直線的で浅く、「似た者同士」に接近する過程も省略が雑。これは演出家が悪い。
DSCH

**ネタバレ注意**
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設定の相似もさることながら、ミンシクの「同志」の顎を引き裂く際に悪魔化したビョンホンが放つ「一生笑った顔にしてやる」という台詞が、『ダークナイト』を彷彿とさせる。(ちなみに、草原の中に落ちている耳朶が『ブルーベルベット』を想起させるが、こちらはほとんど意味がない)「善」への疑念。ゼロ年代の韓国映画が多く取り上げてきた「復讐」の負のスパイラルの中に、善悪の彼岸を描いてゼロ年代最良の成果を獲得した『ダークナイト』の要素を取り込んだ流れの中に位置する一作と思う。画面は正しく一貫して黒く、寒々しい。

しかし、二者択一ゲームの連打により善悪の混沌へめまいと共に観客を叩き落としたジョーカーの衝撃と比べ、ミンシクの設定が単調である。ジョーカーの「快楽思想犯」という特異さ、また、出自が全く不明であるという匿名性(=X=ジョーカー)が深みを持ったのに対して、ミンシクは匿名的な思想犯ではなく、特定的な単なる快楽殺人鬼である(保険調査員を装ってミンシクの実家を訪れ、あっさり出自が語られるシーンに私は心底がっかりした。伏線とはいえ、である)。

ジョーカーはがらんどうの虚空を抱えていた。滅びても終わらない悪意のにおいがあった。対して本作のミンシクは「天然」でスケールが小さいのだ。ミンシクの悪意が「善と思われたもの」を取り込んで世界に拡散し、終焉を予感させる絶望感に欠けるのである。「こいつはこいつで終わるのだろう。それだけの話だろう」というわけだ。さらに言うなら、『ノーカントリー』の死神や『CURE』の伝道師に比肩する要素も持ち合わせていない。トンネルの闇を背後にゲラゲラと哄笑するミンシクのショットと演技が非常に優れているだけに、このシークエンスへの誘導が拙いことが惜しまれる。自首シークエンスで存在を誇示するように血まみれの包丁を振りかざす描写も不完全燃焼だ。彼に取り込まれる恐怖感はない。クライマックスでミンシクが「既にお前は負けていたのだ」という言葉を発して深淵に到達しかけるが、これでは遅いだろう。

ビョンホンの動かない(甘い)マスクは、「仮面を被った正義もしくは正義という仮面」というバットマンの倒錯した造形に重なるものがあるが、「剥げかけたメイク(仮面)」のジョーカーという最高の照射物を持っていた『ダークナイト』の幸福とは雲泥の差である。また、3819695さんの指摘される倒錯への困惑・葛藤の欠落が私には致命的に思える。「勝利という敗北(人間性の喪失)」へ向かう物語であるなら、あるいはビョンホンが初めから悪魔であるのなら、相応の描き方があるはずだ。

苛烈が昂じてギャグに遷移する瞬間(追突、柄が抜けるナイフ、マキビシ等凶器選定の妙)は支持するが、急所を叩き潰された犠牲者その1の惨状を目にした刑事が吹き出すカットは著しく演出の格を下げている。道路の逆走シーンも『96時間』に遠く及ばない(これは決定的に撮影が悪い)。私は韓国映画に見られがちな「警察の甘さ」には目を瞑るタイプの観客だが、それでも目に余る甘さがある。潜伏先でのアクションシークエンスは中々良い。

(評価:★2)

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