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結論から言おう。山下敦弘は、勝った!完全なる勝利だ。
田邉 晴彦

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







2011年5月30日(月)丸の内TOEI

ばかのハコ船』『リアリズムの宿』『松ヶ根乱射事件』など、

飄々と軽妙なタッチで人間の微妙な感情の襞を描写する作風で評価の高い、

日本映画の新しい時代の旗手・山下敦弘監督。

リンダリンダリンダ』『天然コケッコー』に続く

青春三部作(として勝手に定義)の集大成としてリリースされた本作は、

主演に妻夫木聡、松山ケンイチという名実ともにエース級の2人を迎え、

今までとは一つケタの違うバジェット(それに伴う注目度)と、

より大衆向けに塗されたケレンミがたっぷりとかけられた

山下敦弘にとっては正に勝負の一本であった。

結論から言おう。山下敦弘は、勝った!完全なる勝利だ。

本作は、混沌として未成熟な昭和日本の只中で、

何者かになろうと懸命に足掻いた二人の若者が、

それぞれの形で青春時代にピリオドを打つまでを、

1969年から1973年にかけての一連の学生運動を背景に描いている。

主題となっているのは、不変的かつ根源的な

若者たちによる自己実現への欲求、敗北、

そして、その先に見出される成長だ。

1969年の安田講堂事件を分岐点として、

妻夫木演じる沢田は“早すぎた男”として、

松山演じる片桐は“遅すぎた男”として、

終焉に向かうその流れに身を投じようとする。

冒頭の20分、キャラクター造形が見事である。

沢田は雑誌記者として、ドヤ街に潜入取材を行っている。

潜入しているのに、育ちの良さが邪魔をしてうまく溶け込めていない。

通りで客寄せの声を出せばその声はか細く、

無知な配慮から商売用の兎を死なせ、

自分のために殴られた兄貴分に不躾に金を突き出す。

何も判っちゃいない、青二才。それが沢田だ。

片桐は事件後に封鎖されている安田講堂に潜り込み、

英雄たちの戦いの跡を目の当たりにする。

高校生に毛の生えたようなお坊ちゃんである。

大学に入り、セクトにもならない討論サークルを結成するも、

同級生にさえ言い負かされ臍を曲げている。

何も見いだせていない、ボンクラ。それが片桐だ。

彼らは痛いほど知っている。自分たちの脆弱さを、凡庸さを。

だからこそ願ったのだ。何者かになりたいと。

武器をとり、鬨の声を上げることで英雄になれた時代の中で。

二人が出逢い、シンパシーを抱くシーンは特に印象的だ。

片桐が沢田の部屋に置かれたギターを手に、

徐にクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの

HAVE YOU EVER SEEN THE RAIN?』を語り弾く。

「雨をみたかい?」

片桐は当時から囁かれていた俗説を引き合いに出し、

「雨」とはつまり「ナパーム弾」のことだと唱える。

感心と奇妙な同調を覚える沢田。

これがプロットポイントとなり、二人は激動の時代の中へと

その身を投じていくこととなる。

そして、僕ら観客はこの作品の最後に

確かに「雨」をみることになる。

劇中、ポッキー娘が丸い目を全開にしてキョトンとこう呟く。

「ちゃんと泣ける男のひとって、かっこいいじゃないですか」と。

沢田はそれを拒絶する。

男にとって「涙」は敗北宣言だ。

脆弱さの告解であり、凡庸さの受容だ。

見栄と虚勢を原動力にした若者としては

決してそれを容認するわけにはいかない。

しかし、沢田は最後に「涙」を流す。

それは本質的に大人になることを意味している。

僕らは安心する。その姿は決して格好悪くなんかないからだ。

そして、澤田は僅かに微笑む。

自嘲的に。でも、少し軽やかに。

その瞬間、この映画は幕を閉じる。

雨の後には、晴れ渡る日がくる、とCCRは歌った。

涙の後には、笑顔が待っている、この映画は優しく語りかけている。

(評価:★5)

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