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[コメント] 魚影の群れ(1983/日)

海洋スペクタクル、人間ドラマどちらも不味く、相米慎二の映画職人的趣味の限界を浮き彫りにしてSO-SO
junojuna

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







なぜ青森県大間のマグロ漁という舞台を背景に映画を撮ろうと思ったのか?思えば80年代のこの時代、大自然を背景にした映像企画が多かったように思う。思い浮かぶのは高倉健主演の『南極物語』、TVドラマでは『北の国から』シリーズか?当時、こうした舞台を背景にドラマを描くことにロマンがあったのだろう。しかし本作は、方言を巧みに語る役者のリアリティによって土地に生きる人間を描き出す努力はいいとして、海洋スペクタクルといった線はあえて避けたか、テクニックによる忌避か、それでもせめて海洋を舞台に描くのであればもう少し自然の驚異と向き合う大きさを見せて欲しかった。巨大なマグロに立ち向い、結局、主役級の佐藤浩市が死闘の末、文字通り死してしまうドラマとなるが、どこか大きさ、スケール感に乏しい印象は否めない。それでは人間ドラマはどうかというと、この頃の佐藤浩市の拙い演技が決定的に不味く、確実に足を引っ張っている。それに相米慎二の役者への演出の方向性が一面的に過ぎる。夏目雅子が方言で啖呵を切るシーンなどは印象的だったが、それは夏目雅子本人のパーソナリティからにじみ出てくる良さといったものであり、決して演出の成功ではなさそうだという趣きはいかんともしがたい。映画がとても中途半端なのである。しかし、相米得意のワンシーンワンカットを雨のシーンで展開する件、緒形拳が十朱幸代を追いかけるあのシーンは、特に日本情緒、というか日本映画情緒を漂わせる雨が生きていて、本作の中でも出色の出来栄えだった。このシーンを生んだことで唯一この映画は救われている。そう思えばこそ、映画テクニックに心血を注ぐタイプの相米慎二が、海洋を舞台にした映画を撮るのであれば、海洋シーンを彼独特のテクニックで撮ることが求められよう。だがそこには目を瞠るシーンなどどこにもなかったし、達成はしていなくとも工夫の甲斐がみられたかというとそうでもなかったように思う。と思えばこそ、ワンシーンワンカットという手法など、溝口健二テオ・アンゲロプロスがすでにやっているし、この時代の回答というべきテクニックの旨味がひとつもない。と思えたらなお、雨好きの相米が生み出す雨にさえ、どこか映画狂趣味の嫌らしさが透けてみえて評価を改めたくもなってくる。やはり小粒である。

(評価:★3)

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