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[コメント] いとしきエブリデイ(2012/英)

そりゃま、感動はした。しかし所謂ひとつのナイマン詐欺の疑いはこれ否定できない。マイケル・ナイマンの旋律が鼓膜を震わすたび、画や芝居の在りようなどまるでお構いなしに自動で涙がこぼれてしまって、私ったらなんだか純然たる馬鹿みたい。霊長類の端くれながらにパブロフの犬の気持ちが理解される。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「長篇映画の尺は九〇分を理想とする」という一種のイデオロギーに対しては私もアメリカ製のジャンル映画を愛好する観客として理解を示すし、というか自ら片足を突っ込んでいるところもあるけれども、映画であれば何でもかんでも九〇分に収めさえすればそれで万事よいかというとそうではない。もっと長く撮られるべき映画も当然ある。たとえばきっかり九〇分間で全篇を終えるこの『いとしきエブリデイ』がそうだ。

それは、もっと長くこの映画の世界に浸っていたいという意味もあるけれども、五年間の劇中時間を九〇分間の上映時間で語り切らねばならないとなると、各シーンの時間配分に困難が生じるからだ。面会や一時帰宅において父親のジョン・シムと子らが接する時間は劇中時間のごく一部でしかないはずで、その「ごく一部であること」によって映画感情の基本線を描く段取りなのだが、九〇分間の劇映画としてそれが再構成されると、彼らはやたら頻々と再会しているような印象になって段取りが乱れてしまう。だからここは父親不在のシーンを増やすことで全体の尺を延ばしてでも、上映時間に占める親子再会時間の比率を小さくしなければならない(もちろん理屈の上では、再会シーンを削減すれば九〇分の上映時間を保ったままでも「比率」の縮小は達成できる。しかし私は「もっと長くこの映画の世界に浸っていたい」)。

しかしながら、やはりこの四人の子らの立ち居振舞いは掛値なしに感動的だ。子らが電話越しの父に向ける声の響き、あるいは面前の父に注ぐ眼差し、そこには「人間が無償の愛なるものを持てたとして、きっとそれはこのように表現されるのだろう」と思わせるものがある。

シムの出所後、一時的な夫婦の不和も乗り越え、家族が揃って海に向かうシーン。確かに作劇としてはいささか予定調和的であるかもしれない。それでもなおここに紛れもなく映画の感動があると云いたいのは、結局のところ私は被写体たちの身体に心を動かされてしまっているからだ(シムは子らではなく、妻のシャーリー・ヘンダーソンを肩車で担ぎ上げる!)。彼らの歩みを後ろから見守り、そして見送るような俯瞰のラストカットは距離感・人物配置ともにすばらしい。ことこのラストシーンに限っては、ナイマン詐欺の疑いは議論の余地なしに晴れている。

(評価:★4)

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