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[コメント] 河童のクゥと夏休み(2007/日)

このアニメーション映画には、映像の荒波に溺れるような快感は一切ない。だが、観る者を岸に届けそっと背中を押すような、確かな意思がある。
林田乃丞

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 クゥが父の言葉として語る文明批判はいちいち道理が通っているし、人間の存在そのものを恨む根拠も「父の仇」なのだから当然説得力がある。マスコミやイジメのエピソードを通して語られる社会のひずみや人間同士の関係性の危うさについても、手際よくまとめ上げられていてメッセージ性を感じさせた。

 だが、この映画はそれらへの批判を声高に叫ばんがためにつくられた作品では決してないと思う。むしろそれらの理不尽や怨嗟を受容し、それぞれが克己せよという作品だと思う。

 「父ちゃん、ごめん。オレ、人間の友達ができた」

 図らずも人間社会に放り出され、いつしか周りには敵しかいなくなったクゥが吐いたラストのセリフに、私は、しこたま打たれた。今この時代に授かった命を生きるために、少しでも前に進むために、何を信じるべきであるか。この映画が提示したのは、歴史でもなく、血脈でもなく、己が己の心に受け止めた真心だった。その真心を胸に、もう一度世界へ踏み出そうとする勇気を謳い上げた。

 過去の恩讐や概念に縛られることなく、目に映るすべての中から今一度自分なりの価値観を抽出し、それにつきしたがって前へ進もうとするクゥ。それは彼にとって、世界を変えることに他ならない。

 この映画には明確に、観る者の未来を指し示そうという意思がある。大人が子供に対して物を語る姿勢とは、そういう意思を伝えてやることだと、私は思うのです。

(評価:★5)

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