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[コメント] 誰も守ってくれない(2008/日)

リベラによる美しい主題歌が1.5倍は感動度を増しているが、善も悪も全て、自明視された「家族」に収束される点は大いに疑問。前日譚のTVドラマの方が出来が良い。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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時折り画面に日時が表示されることで、刻一刻と事態が推移する感覚が演出されるが、そのように凝縮された時間を描いたこの作品の、その物語内で流れる時間の短さはまた、ネット上で祭りを展開していた者たちが次の事件に関心を移す変わり身の早さをも感じさせる。

勝浦(佐藤浩市)が家族との旅行に間に合うのかどうかという小さなサスペンスがそのまま、彼が家族との切れかけた絆を守れるかという、物語の主題と直結していること。勝浦が娘に買ったプレゼントの箱が、彼が刑事として奔走する中でへこみ、傷つきながらも最後まで守られていること。このプレゼントを捉えたショットが要所に挿入されていたこと。ラスト・シーンで沙織(志田未来)が自ら勝浦の許へ駆け寄り、このプレゼントを「忘れ物」と手渡すこと。「犯罪者家族の保護」という主題は、「家族関係の修復」という主題に収束する。その巧妙さにむしろ違和感を覚える。

ネット上の匿名の人間たちは、「犯罪者家族も同罪」というに止まらず「そいつらを守る人間も同罪」として勝浦の家族にまで脅威の手を伸ばすのだが、彼らに立ち向かう者たちを描いたこの映画もまた、人間は家族と別箇に生きることは出来ない存在である、という観念を固守する点で、ネットの悪意と表裏を成してもいるようにも思える。

犯罪者に子供を殺された本庄夫婦の経営するペンションがネットの書き込みによって、犯罪者家族の自宅と同様の、襲撃に近い取り囲みを受ける倒錯的なシークェンスのアイデアは良いのだが、個人と家族のアイデンティティが社会的に等置されていることへの疑問などは毫も描かれず、「家族を失うという意味では、犯罪者の家族も同じなのかも知れませんね」という本庄圭介(柳葉敏郎)の台詞は、圭介の中での納得以上のものではなく、僕には何か、喉に骨が残ったような違和感が拭えない。柳葉の、温厚さを見せるときほど何か脅迫的な笑顔は、これはこれで、勝浦との間の緊張感にそぐうものであったようには思うのだが。

第一、電話越しの声としてしか登場しない勝浦の娘にしても、彼の保護対象である沙織にしても、幼稚で勝手な小娘という以上の存在感が認められないので、二人の小娘の間で板挟みにされる中年男の苦悩で全篇をもたせるのは無理がある。

沙織のボーイフレンドの、変声期前で少女より少女らしい声は、「っていうか、警察の奴ら、ウザくない?」に始まる行動の禍々しさを際立たせていて、ちょっと面白い。

この映画の前日譚として放送されたテレビ・ドラマ『誰も守れない』は、三島(松田龍平)と勝浦のバディ物として秀逸で、木村佳乃演じる、頼もしい好い加減さが魅力的な精神科医との関係もきちんと描かれていた。却って映画の方が印象希薄である。

君塚良一の脚本では、オタク的な人間、幼稚さと凶暴さの合わさった、意図的に矮小な犯人像を提示するパターンが多すぎる。この人は他の発想が出来ないのか。いい加減、「今どきの若い連中のこと、俺分かんねぇよ」と戸惑ってみせるオヤジの、狼狽ともシニシズムともつかぬ繰り言には正直、飽きた。

(評価:★3)

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