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[コメント] 引き裂かれたカーテン(1966/米)

個人的に、このサラ(ジュリー・アンドリュース)の如き常識的な善人が勝手に介入してくるような展開は苛立たしい。賢明さも美しさもないヒロインが「善」の象徴である時点でこの映画には乗り切れない。だがヒッチ史上に残すべきシーンは二つあり。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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サラの説く「愛国心」は、そのノッペリとした奥行きの無さが何とも鬱陶しい。二重スパイであるマイケル(ポール・ニューマン)の物語的な立ち位置の変化がこのサラとの関係性によって描かれる為、サラに魅力が感じられないということは、彼女を鏡として二度変身するマイケルもまた魅力的に感じられない結果となる。ポール・ニューマン自体、そのタフガイな顔貌が要らぬ安心感を与えてくる点も含めて、今回はミス・キャスト気味な印象あり。

だがこの作品特有の見所がまるで無いわけでもない。それは、東ドイツの日常風景の中に身を隠すという状況から生じるサスペンスだ。農家での殺しのシーンや、バスのシーン、郵便局の窓口のシーンで長々と時間がとられているのも、本来平坦に流れていくべき日常性を破る状況を抱えつつもその平坦さを破ってはならない、という所にサスペンスがあるからだろう。

潜入先の東ドイツでは、周囲の人間はドイツ語を話すので、その日常的な言語的環境そのものが、一種の密室のような緊張感をもたらす。この作品で特筆すべきはやはり農家での長々とした殺しのシーンだが、ここでマイケルと殺しの共同作業をする農婦は、英語を全く話さず、マイケルと言葉で意思疎通し得ないままに、殺人などという重大な行為を共に行なうのだ。窓の外の男に気づかれないよう、銃声を響かせるのを控え、農家の日用品である包丁やらスコップやらオーブンやらで行なわれる殺人。飽く迄も、農家の日常風景という平穏さを破るものが家の外に漏れないように殺さねばならないのだ。

もう一つの特筆すべき箇所である、バスによる逃走のシークェンスにしてもそうだ。道の途中で運悪く盗賊に襲われた一行は、警察の到着によって盗賊が去った後、護衛の警察に先導される形で走行することになるわけだが、善良なる市民たちを護衛しているつもりの警察にしても、背後から追いつきそうになる本物のバスにしても、途中の停留所でノロノロと乗車する老人にしても、東ドイツの市民生活という日常性が、マイケルらを追い詰めることになるのだ。尤も、こんなシーンに於いてさえ平然とスクリーン・プロセスを使うヒッチ師匠。場に必要な、車窓の外の存在がまさにすぐそこにあるという臨場感、緊迫感を殺ぐこと甚だしい。コントロール魔としてのヒッチの詰まらない一面が表れてしまった感がある。状況設定という点では実に良いシーンであるだけに、残念。

マイケルが教授から数式を盗み出すシーンでの、殆ど観客の目から隠された黒板上での遣り取りだけでドラマを成立させる辺りはさすがに見事。だが劇場のシーン、ドイツ語では確か「火」は「フォイエル」とかなんとか言うはずで、英語と或る程度似ているのかも知れないが、英語で火事だと叫んですぐさま観客全員大混乱というのは、演出の手際が良すぎて、却って冷める。観客席の周りを警察に包囲された中、この「火事」という一言のみが、一般市民に紛れたままで状況を打開するほぼ唯一の一言である点は巧いのだけど。

(評価:★3)

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