コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 草原の輝き(1961/米)

男の貞操という主題だけでも新鮮だが、精神と肉体の相克を介して展開するのは、絶えず前進し続ける時間と欲望、という、更に大きな主題。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







バッドがファニタと性的な関係を持ってしまう場面で、その場所が滝の中だという点に注目。恋人の浮気を知ったディーンは、自分を誘ってきた同級生の青年について行ってしまうが、この男に迫られた彼女の逃げ出す先が、滝の中なのだ。その姿に、車の中などで絡み合っていた恋人たちは、動きを止める。滝に身を投げたディーンに向かって、男たちが泳いで寄り集まるのを、「やめて!」と振り払おうとするディーン。その姿はどこか、男たちに取り囲まれて恍惚となるジェニーの姿を連想させる。実際、自暴自棄になったディーンは、バッドの姉であるジェニーの振る舞いを真似ている。滝を流れる夥しい水は、浄化の象徴のようでもあるが、また同時に、止めどなく流れる欲望を表しているようにも見えてくる。

それにしても、男の側の貞操という主題には、いまだに新鮮な印象を受ける。「一個の人格として、大切に愛する女」と、「人格的な事からは切り離して考える、性欲の対象としての女」に分けて考える男の論理が、結局は、愛すべき女が、自身を、性的な存在、性的に失格の烙印を押された存在だという意識に追い詰めてしまう結果を招くという事。一見すると古い因習に囚われた時代を描いた映画に見えるかも知れないけれど、実はいつの時代も変わらない、普遍的な心理を描いているんじゃないかな、と思いますね。最近、アメリカで純潔運動が再興していたりするそうだけど、そういう事とはまた別に、今観ても新しい映画な筈。

それと、大恐慌が、物語を動かす一つの要素として出てくるのも、個人的に少し気になった点。株が上がり続けると信じて持ち続けていたディーンの両親が、娘の入院費用の為に株を売らざるを得なかった事を嘆いた直後、株の大暴落のニュース。一方、彼らよりも金持ちであったらしいバッドの父は、絶望して自殺。その直前、息子に謝罪しつつもその行動たるや、ディーンに似た踊り子を、息子の部屋に行かせるというもの。結局は最後までその物の考え方は変わらない。

株を持ち続ける事は、純潔を保ち続ける事の暗喩だったのだろうか。若い恋人たち二人の思いを無視して、二人の間から性的な関係を排除しようとしていた親たち。そういった、「いつか大切な人に捧げる為」という意味を無視してただ純潔そのものを絶対視したせいで招いてしまった悲劇とは、本来、何かと交換する事に価値がある筈の貨幣そのものを絶対視したせいで破綻した経済と、どこか重なって見えるのだ。バッドの父の守銭奴ぶりも、物質主義の価値観という点で、女を肉体的な価値で見る事と重なるのではないか。

いつ株を売るべきかという事と、いつ相手に純潔を捧げるべきか、という事は、共に、過去(=既知)と未来(=未知)に引き裂かれた時間を捉える事の困難だと言える。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (1 人)けにろん[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。