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[コメント] 怪物(2023/日)

いささか凝りすぎだと思う。何を言いたいのか、今一つよくわからんかった。あと最後の方でなんとなく「銀河鉄道の夜」を連想した。
シーチキン

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







形式的には3者それぞれの視点から描かれてはいるが、『羅生門』のように立場によって真実は違う、何が本当かわからない、ということではなく、本当はこうなのに(子どもの視点)、大人にはこう見えてしまった、ということなんだろうなあ。

だから、本当はごく些細な出来事なのに、あれよあれよという間に大きなものになっていく怖さを描いたのだろうか?

それとも、親が当たり前だ、普通だと思っていることが、その子どもにとっては必ずしもそうではない、というを言いたかったのだろうか?そのことで心を痛める子どももいる、ということなのかなあ。

そして実はそのことを一番よくわかっていたのが校長先生田中裕子だった、ということなのだろうか。音楽室でのシーンと、幸せ云々の台詞のところでそう思ったよ。

ラスト、大人二人があたふたあたふたする中で、しれっと元気に駆け出す子どもが二人。それが本作のテーマなのかなあ。

あと永山瑛太は独特の存在感をもつ役者になったなあ。本作ではほんとに暗いというか、なんかヘンな陰のある教師に見えたよ。

それと同級生の少女が担任に話した猫の話はいったいなんだったんだろう?未消化の伏線だったのだろうか。その辺もよくわからない。

追記

観終わってしばらく経ってからつらつらと考えが浮かんだ。この映画はひょっとして、親の考えを子どもに押しつけることへの警句を発しているのではないだろうか。

シングルマザーの息子は、母親から「あなたの父親は私と一緒に普通の家庭で子どもをつくって幸せにしてくれた。だからあなたも愛する女性と子どもをつくって普通の家庭で幸せになってほしい。それが私の願いだ」と繰り返し聞かされたのだろう。

しかし彼は、女性よりもやや中性っぽいクラスの男の子に心魅かれている自分に気がついてしまい、だから自分は子どもはつくれないだろうし、普通の家庭も築けない、と思い込んでしまったのだろう。そしてそんな自分は幸せにはなれないんだ、自分を大切に育ててくれている母親の期待にも応えられないんだと、もがき苦しむ。

そんな彼には、校長先生の「誰か(女性を愛して子どもをつくる人)にしかつかめないものは幸せとは言わない。誰でもつかめるものを幸せと言うのよ」という言葉は、救いに感じられたのではないだろうか。

息子に、そういう自分の「幸せ観」を繰り返し説き、押しつけ気味にさえなっている母親は、多分に過保護であり、息子に過剰に依存しており、俗に言う「モンスターペアレント」と紙一重にある状況ではないだろうか。そして担任と校長はそのことにうすうす気がついていたのではないか。

同級生の男の子は、おそらく冒頭の火事を引き起こしたのだろう。多分、母親に出て行かれたシングルファーザーの父親が、ガールズバーに入り浸っているのを何とかしたくて放火したのではないか。そして父親はそのことに気がついたのだろう。しかも息子は放火だけでなく、性的指向においても女性よりも男の子に向いていることにも気がついたんじゃないだろうか。

そんな息子は父親から見れば「化物」のように見えるし、「豚の脳が入っている」病気のようにも見えたのだろう。だが彼はそんな息子を放り出したりはしない。もしかしてモラハラかもしれないが父親として、そんな息子を何とか普通にしてやらねばならないと思い、放火のことを隠し、時には体罰を与えてでも女の子が好きな男の子にしてやらねば、それが父親たる自分の責任だ、と思っているではないか。

そういう、それぞれの親から押しつけられそうな「幸せ」にはなれない彼らが仲良くなるのは、ある意味、必然ではないだろうか。

ついでに言えば、シングルマザーの息子はまだ小学5年生である。だからこの時分の彼が、同じクラスのちょっと可愛らしい感じの男の子に魅かれる、好きという感情をもっても、それがそのまま彼の性的指向が同性に向くとは限らないと思う。

なぜなら彼はまだ自分を魅了する女性に出会ってないから。小学生の男の子で中性っぽい感じがする子なら、性的興奮も呼び起こすかもしれないが、これが中学生から高校生へと成長していけば、同い年の男の子は、どんどん汗臭くなるだろうし、声だってガラガラ声になっていく。タバコを吸うような男だったらヤニ臭いし、おっさんみたいな中高生だっている。そんな男に性的興奮を呼び起こされるかどうか、神のみぞ知る話である。

一方で女の子の方は、身体つきが大きく変わっていく子があふれているし、なんだったらいい匂いをさせる女の子もたくさんいる。そうなってくれば、彼の性的指向は自然に女の子に向かう可能性は高い。だから小学5年生の時点でそうだからとしても、将来もそのままとは限らない。そして校長はそういうことは経験でなんとなく知っているんじゃないかな。だから校長は一貫して、大騒ぎするようなことじゃないと思っているのではないか。

あと、猫の告げ口をした女の子だが、彼女にしてみれば、シングルマザーの息子に対して、隣に私という可愛い女の子が座っているのに、こいつは私よりもいじめられっ子の男の子のことばかり気にしているように見えるのだろう。別にシングルマザーの息子が好きというわけではなくても、気に入らないというか、つい意地悪をしてしまうのだろう。だから告げ口したり、雑巾をぽいと息子に投げて困らせようとしたんじゃないだろうか。

こうやって全体を整理してみると、担任は完全なとばっちりを食ったに過ぎないと思えてしまう。さらにこれが原因となって、職を追われただけでなく彼女にまで去られたようで、まことに気の毒である。

と、いろいろ考えたのだが、こうやって考えてみると、やっぱりこの映画は凝りすぎじゃないかと思うのだ。だから☆3のままだな。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)けにろん[*] おーい粗茶[*]

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