[コメント] 豚が井戸に落ちた日(1996/韓国)
しかし、少なくも私が見たどのホン・サンス作品とも異なる部分が多々ある(もっとも、私は熱心なホン・サンスの観客ではないので、いつから現在のスタイルを確立したのかも知らないけれど)。ただし、彼らしい部分もいくつかあって、その辺りを主に記述しようと思う。
まず、主要人物の4人には、それぞれ主人公と云ってもいい中心になるパートがあり、各パートは少し長い黒画面で仕切られている。序盤は、小説家のヒョソプ−キム・ウィソンのパート。こゝが一番長尺だし、このパートで他の3人も登場するので、ヒョソプが全体の主人公のようにも感じられる。次のパートが、背広を着た営業マン、ドンウ−パク・ジンソンの全州への出張を描いた挿話。3つ目が、映画館の切符売り場で働き、小説家ヒョソプを健気に慕って援助する、ミンジェ−チョ・ウンスクが主人公のプロット。そして最後は、ドンウの妻だが、ヒョソプと不倫関係にあるポギョン−イ・ウンギョンがヒロインのパートだ。
では、現在のホン・サンスと異なる点からあげよう。本作は韓国本国及び日本では、R18+で公開されているように、いくつかの濡れ場がある(激しい交接シーンはごくわずかしかないと思う。私の感覚では2シーンだけだ)。しかし、そんなことよりも重要なのは、ズームの使用が無い、ということと、固定の長回しもあるけれど、思いの外カットを割っているし、会話シーンでの明確な切り返しの繋ぎも多数ある、という点だろう。さらに、パンだけでなく、移動と組み合わせたショットもある。あと、ドンウとその妻ポギョンにそれぞれバスターミナルからバスに乗って行く場面があけれど、バスの窓から見た景色をディゾルブ繋ぎで抒情的に見せる、なんて演出も現在のホン・サンス映画では考えられない部分かと思う。
次に近作まで変わらない、既にそのスタイルの特質が垣間見える部分について。まず私があげたいのは、冒頭に出て来る柑橘類の鉢植えや、オサムシのような甲虫を撮ったショット(ある時期以降なら、よくズームインするような被写体)。あとゴダールっぽい、劇伴の間欠的な使い方も指摘できると思う。本作では、後に見られるような既存曲(クラシック音楽なと)と違い、題材に合わせて、とても不穏な音楽が流れるけれど。そして、これが決定的に重要だと思うが、唐突な夢の挿入だ。本作においても、夢の挿入がある、という情報だけでネタバレに近いぐらい、映画全体のポイントになっている部分だと思う。これがあるからこそ、いくつかのプロット(特に終盤)は夢かも知れない、いや、この映画全体が夢だったのではないか、と感じさせるぐらいのインパクトのある場面だからだ。
#ソン・ガンホは、ヒョソプの友人役。科白はあるが、大きな役割はない。
#ヒョソプの部屋の壁に『ショーシャンクの空に』のポスターが見える。
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