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[コメント] 千利休 本覺坊遺文(1989/日)

ちょっとズルいコメントになる。鑑賞後、原作を読んだのだ。成程、これは熊井の挑戦なんだと思った。
KEI

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







‘ズルい’と言ったのは、原作を読まないと分からない所があったからだ。それは、原作のどこを変えたかという事だ。 

幾つかあるが最大のものは、原作にある岡野江雪斎+織田有楽で織田有楽斎にしたことだ。それによって1人の遅れて来た武人茶人が、奥義を窮める(*1)という話にしたのだ。

映画(原作)も「何故 利休が自刃したのか、から始まり最後に‘利休の茶(心=精神)’を明らかにする」という流れだ。

その‘利休の茶’ついては幾つかの暗示がある。「侘び、数寄常住」「二畳茶室はわが砦」、磧の道、無と死〜有名な「無では何もなくならない、死では何もかもなくなる」、そして自刃。

これらの各々、又上の流れの中味については、映画を観れば或いは原作を読めば分かるので、ここでは触れない。触れるのは自刃だ。

熊井は、この利休が達していた精神世界の極みを映像で表すのは、難しいと考えたのだろう。そこで有楽斎の滑稽ともいえる自刃真似を演出したのだ。当然この自刃真似シーンは原作には無いが、これによって奥義が観客に確信され、また原作には無い有楽斎という人物をクローズアップさせた。

「俺は腹を切らんでも茶人だよ」と高笑いする(このセリフは原作にもある)人物が、最後に自刃(真似)するシーンは滑稽だが、圧巻である。更には、彼はあんな態度を取っていたが、やはり利休を師と仰ぎ殉じたのだ、と胸に迫るものもあった。

そしてこの高笑いのセリフと裏腹な胸の内を表現できるのは、萬屋でなくてはダメだっただろうし、あえて彼の代表作の1本に数えてよいと思う。

この‘ハラキリ’によって熊井のこの作品はヴェネチアで賞を取った。もし利休の心を何とか映像にしていたとしても、この‘ハラキリ’なくばこの賞は叶わなかっただろう。

この作品は、熊井の世界への挑戦だったと思う。

*1 奥義でも何でも、表現はいいのだが、‘利休の茶’について。 本人が言っている、「私の茶は戦国乱世の茶だ」。武将たちに点前をした時の彼の心は、まさに‘死を覚悟した心’だったろう。そうでないと、これから戦場―死地―に赴く武将たちに対峙出来なかったに違いない。それを極めて行くと、‘無’という甘いものではなく、さらに何もないを強調する‘死’であったのだろう。

*2 尚、有楽斎の侍医は、小林稔侍(似ているが)ではなく、歌沢寅右衛門 と思われます。(キネ旬のキャスト表、NETの画像検索チェックしました)

(評価:★5)

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