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[コメント] アルバート氏の人生(2011/英=アイルランド=仏=米)

銀幕のチャップリンよろしく滑稽ではあっても、全ての行動に伴う感情を断ち切り、夢だけはプリミティヴに信じながらも臆病にこそこそと生き続ける、彼女の閉塞人生は哀し過ぎる。時代の鬼子として野に埋もれる宿命を逃れられぬにしても、だ。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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彼女の人生は確かに悲喜劇であるだろうが、それをヘラヘラと笑い飛ばすだけの人間になるのなら老成した愛の悦びなど自分には必要ない。アルバート役を演じるグレン・クローズに対する共感はそれほどに深かったのだ。

人生の物語であるこのノッブスの悲劇だが、愛情の物語ともむしろ自分はとりたい。自分はおよそ恋愛において強者であることに疑いを持たない存在にシンパシーは抱かない。この物語でいえばボイラー技師だが、身勝手な男の縮図だろう。これに対し、幻想の男性像を自分に投影しようとして気後れに足をとられる主人公は、男を知らないがゆえに平面的な擬態しかとれない。だが、何と彼女の姿は現代の若者たちのヴィジョンに似ていることか。

しかし、である。この似通った同士の相違点は、裏に肉欲というものがあるかないか、というところなのだ。今の若者は愛情に淡白であるというが、生やさしいものである、というだけであって皆無ではない。だが主人公は、いかにふたりで生きるために両者が夢の折り合いをつけていくか、そのことだけを考えている。そんな人間はまずいない。…であるがゆえに、ボイラー技師と愛し合うウェイトレスは、欲望を見せない主人公を「気持ち悪い」存在として一度ならず退ける。

そんな扱いを受けても、幻想の男を演じ続ける主人公に自分は美意識を感じる。彼女はあるいはその胸中にあってはドン・キホーテのつもりなのかもしれない。権力欲、破壊欲、色欲にまみれた現実の「騎士」を省みず、憧れの中の騎士として姫君に仕え、悪に立ち向かうことをおのれに課す。『ラ・マンチャの男』に胸をうたれるように、自分はこの「男もどき」の女に心動かされる。

結局、ラ・マンチャの「女」は報われぬ死を迎える。彼女の魂をウェイトレスやペンキ塗りの女には受け取られてはいるが、その死に打ち勝つことのできぬ事実はやはりちっぽけであり、時代の趨勢には忠実であり過ぎた。やはりこの物語は悲し過ぎる。ゲイには優しいひとが多い。そういう風潮が未だに昔話になっていない現在において、この物語もまた昔話ではないということなのだろう。

(評価:★4)

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