コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ミラクル7号(2008/香港)

こういう小動物系怪獣つれあい系ジュブナイルには本当にまいる。だってナナちゃんがかわいそうすぎる……
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







少林サッカー』で感涙しながら、『カンフー・ハッスル』にはのれなかった。チャウ・シンチーの才能に疑問を抱いたわけではないし、冒頭のダンスシーンなどは嫌いじゃないもののの、物語を途中で放棄した感じを受けた。そんな映画はいくらでもあるのだが、チャウ・シンチーの場合、なまじ良い設定を出してくるので、物語の瓦解が逆に笑えない。

今回も、冒頭から、映画的なシーンが満載で、設定が興味深い。

ナナちゃんというファンタジーの階層まで観客をのぼらせるために、シンチーは階段をしく。それがまず夢のシーンだ。ドラえもんよろしく、万能な四次元ポケットを持つナナちゃん、おかげでのび太な主人公も大活躍――でも、それは夢だった。

そうだよね、そんなことあるわけないよね。そうして、今度は、セイサンな現実的シーンが描かれる。ナナちゃんはボコボコにされ、主人公もボコボコにされ、おこった主人公はギャングよろしくナナちゃんを便器にぼごぼごぼご……お得意のコミカル・バイオレンスで笑いを取りながら“そんなに都合のいいことがあるわけない”ということを顕示することで、逆にファンタジーな設定を観客にのませようとする。

夢を見せて現実を見せてからはじめて“自己犠牲がともなう治癒能力”を見せることで、その能力の夢とも現実とも言い切れないニュアンスに説得力をもたせよう、という明確な意図、計算、意匠がある。

ただ、物語としては、ひどい話だよ!と思ってしまう。

便器にぼごぼごやられるひどい虐待扱いは笑いにすぎないのだが、こういうの、本当にかわいそうになる。我に返った主人公は、かわいがってやれよ、とも思う。ところが物語はそれがあんまりないまま、父ちゃんの事故になだれこんでいき、そして、ナナちゃんはみずからのエネルギーとひきかえにって……言っちゃあなんだが、君にそんな義理はないよ!そんなことしてやらなきゃならないほど、ええ思い出はまだもらってないよ!

そう、こういうジュブナイルでもっとも重要なのは、物語上、一見なんの役にもたたない、主人公と小怪獣が遊ぶシーン、一緒にすごし、一緒に暮らすなんでもない、なんでもないようなことがしあわせだったと思うようなシーンだと思うのです。それは物語の起承転結のなかの「承」の部分です。

この映画は、その交流のシーンがかなり希薄です。たとえば、いじめっこたちとの和解とかは重要に思えるかもしれませんが、なんか早いんだよな。そのまえにまず重要なのは、二人だけの時間=思い出がきっちり描かれることだと思うのです。

要は、シンチーは、 おもしろい「起」をたちあげ、圧倒的な「転」を展開する才能をもちながら、「承」をつづる才能を欠いた人なんだと思いました。

ついでに今回は「結」もどうなの? こういう投げた終わり方を見ると「別れを悔やんだのび太が、大きくなってドラえもんを作る」というのは、黄金率のようなこれ以上ない結末なんだなあ。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (2 人)DSCH づん[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。