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[コメント] セックスと嘘とビデオテープ(1989/米)

現代人が他者と関わっていくためのツール。(レビューはラストに言及)
グラント・リー・バッファロー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







現代人の不安とコミュニケーションを主題にした作品。いつからか、人は他者と関わることに困難をおぼえるようになった。それは核家族化や独居世帯の増加によるものなのか、機械文明による人間疎外によるものなのか、要因はいかようにも考えられるのだろう。

他者とのコミュニケーション手段を喪失していくなかで、現代人に残された数少ない手段の一つがセックスであり嘘である。眉毛の濃さは意志の強さか、その二つを十全に駆使するピーター・ギャラガー(『アメリカン・ビューティー』の「不動産王」)。しかし彼の姿から、他者とのコミュニケーションを図れている様子は見えてこない。現に彼が怒り心頭でジェームズ・スペイダーの家に乗りこんだとき、ビデオテープを壊すのかと思いきやビデオを再生し、その中で妻が告白する姿に見入る。ビデオを通してしか、実の妻の本音を知ることができないと自覚している。

セックスと嘘に加え、現代人が手に入れたもう一つのコミュニケーション手段、それがビデオテープ。そこに作為が加わらないとき(厳密に言えば、そんなことはありえないが)、撮る主体に匿名性があると信じることができたとき、作品中の女性は他の誰の前でも話さないような性の告白をおこなう。それを丹念に保管するジェームズ・スペイダー。ビデオの中の女性は彼の期待を裏切ることがない。彼の視線は常にファインダーを通している。

新たに一緒になった男女の姿には、セックスも嘘もビデオテープ(もしくはそれに類する「技術」)も介さない、「真の」他者とのコミュニケーションの姿が示唆されていたのかもしれない。でも、それはそれで胡散臭さ、極端な物言いをすれば、どこか宗教的な匂いを避けられないのではないだろうか。その三つを避けコミュニケーションをとるのはとても難しい。その三つによって引き起こされる、自己のいびつな衝動と無力感と他者の冷たい視線に苛まれながら、それでも何とかやっていかねばならぬのが現代人の姿なのだと思う。

確かにテーマが先にありきのため、キャラクター設定や展開での我田引水ぶりが多少目立ち、そこで表層的というイメージが浮かばないでもないが、その一方で皮膚感覚で伝わってくる人と人のあいだの関係性が描かれていた。「郊外」物の先駆けともとれる知性的な作品。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)緑雨[*] ゑぎ[*]

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