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[コメント] ヴィレッジ(2004/米)

シャマランはこの映画で、『サイン』に対する批判に応えたんじゃないだろうか。シャマランらしい演出は随所に見られるが、彼にはまだまだ出していない、”自分らしさ”がある気がする。
空イグアナ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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サイン』を見たとき、シャマランは、どんでん返しと縁を切るつもりで、この映画をつくったんだろうな、と思った。彼をどんでん返しの専門家ととらえるのは間違いだろう。「サイン」に先立つ『アンブレイカブル』だって、どんでん返しは「おまけ」みたいなもので、ラストで観客をあっと驚かすこと、ただそれだけのためにつくられた推理モノと違うことは明らかだ。ところが『ヴィレッジ』ではどんでん返しが復活。それもラストのそれに向けて、伏線が収束していくようなストーリーである。インタビューではシャマランは、自分はどんでん返しのためだけに映画をつくっているわけではないということを語っているが、そう言いながらも彼は、『シックス・センス』がヒットしたせいで、観客からどんでん返しモノを期待されている、というプレッシャーを感じているのではないだろうか。

 これはあまりよいことではない。どんでん返しは、諸刃の剣だ。ラストのそれ一つで、映画全体の価値が決まってしまったりする。予想もつかないような展開が期待されるわけだから、アイディアの前例があってはつまらないわけだ。偶然の一致だの、過去の作品へのオマージュという言い訳では済まなくなる。シャマランが無理してどんでん返しをつくっているのなら、それは彼にとってマイナスにしかならないだろう。

 実際、この映画をスリラーではなくミステリとして見るなら、あまりプロットは巧妙とは思えない。中盤で老人が、怪物が偽物だったことを明かしながら、村が偽物であることを話さないのは、中途半端な気がするし(偽物であることは話さなくても、せめて村の外に何があるのかくらいは、もうちょっと話すんじゃないだろうか)、村の外へ出たヒロインが、何も気付かないのも、ご都合主義に思える。ヒロインは唯一、村の秘密を知ってしまった若者、ということにしてしまってもいいんじゃないだろうか。これから先も、村での生活を続けるか?というラストの老人の問いかけを盛り上げると思うのだが。僕には、巧妙というよりも、シャマランがつじつま合わせに四苦八苦した末に、穴を埋めきれなかったように見えるのだ。

 さらに言えば、シャマランがプレッシャーを感じているのは、たぶん、どんでん返しだけではない。この映画は「サイン」に対する批判に、シャマランが贈った返事と思われる部分はちらほらと見られる。「サイン」で「目立ち過ぎ。」だの、演技力に対する罵声だのが飛んだが、今回シャマランは、今までで一番目立たない形で登場(実にシャマランらしい方法だ)。あやうく見落とすところだった。気付いたときには劇場で笑いそうになった。前作では、アナログ手法好きのシャマランがCGバリバリの映像をつくったが、今度は、着ぐるみモンスターだ。(でも”見せない”演出の方がおもしろいってことは、わかってくれなかったみたい。)

 シャマランって、目立ちたがり屋でなおかつ、人目を気にするタイプ、という人間なんじゃないだろうか。そういう人間っている。学校の文化祭とかで馬鹿な真似をするのが好きなんだけど、いざ舞台に立つとにガチガチに緊張するタイプ。日頃は些細な悪口にも深く傷ついたりする人。……えっと、私がそうですね、はい。シャマランはまだまだ自分らしさを出していなんじゃないだろうか?『アンブレイカブル』での失敗以降の彼を見ていると、そう感じてしまう。電波でもトンデモでもかまわないから、よけいなプレッシャーは吹き飛ばして、自分の好きな映画をつくってほしいところだ。

(評価:★5)

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