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[コメント] フライド・グリーン・トマト(1991/米=英)

「ブラック」というよりは、ある種の「ヒステリックさ」が、この物語の底には流れているような気がする。
くたー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







貨物の物資を貧しい人たちに投げ与える。カウチおばさんが若い女の車に自分の車をぶつける。自分の家の壁をブチ抜く。葬り去られた殺人事件の真相。死んだのがおばあちゃんの友人であったことを知って不謹慎にも喜んでしまうカウチおばさん。夫の了解なしにおばあちゃんを引き取る。ハートウォーミングな話の流れの中で、このような挿話にやや首を傾げる。しかしこれらは、考えれば遣り場のない感情が一つの道を見つけてほどばしってしまった結果。彼女(彼)たちを追いつめている原因は時には時代背景であったり、社会であったり、はたまた個人が抱える問題であったり。

それが一番極端なカタチで発露してしまったのは、暴力亭主の殺人のクダリだろう。殺した男を茹でてソースにするというのは、単にブラックテイストというよりは、上記の流れを考えるとヒステリックさが暴走した果ての結果だったように思える。結局は殺した亭主を「豚」にまでおとしめた上で茹でているワケだから。ここまでヒステリックさが露呈してしまうと、笑うに笑えない。

でも「そりゃおかしいよ」「間違っているよ」というコトバを投げかけようとしても、喉のあたりで引っかかってしまう。それらの言動がどれだけ遣り場のない憤りや悲しみ、または時には喜びから出ているのか。それを考えると、どうも無碍には否定しきれない。それが映画を見た後でちょっとしたシコリとなって残る。要は頭で考えたというよりは、社会的に弱い立場の人(またはそう思いこんでいる人)の心情に寄り添って作られた話。筋は通ってなくても、とてもニクむことなどできないデス。

大筋ではなかなか良い話。友人が死んだとしても、他の人の心に友人の魂が息づくことで、そこから新たな友情が生まれる話。こういう風に素晴らしい友情がカタチを変えて受け継がれていくだとしたら、「永遠の友情」なんてコトバもアリなのかな、なんて気分にもさせてくれる。とりあえずは「頭」を休めて、話に「心」を寄り添わせて見たい映画。

(2002/10/1 再見)

(評価:★3)

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