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[コメント] ヴェラ・ドレイク(2004/英=仏=ニュージーランド)

極力ニュートラルに徹しようとする、その信頼すべき視点。そこから生まれる悲劇は、(筋書きではなく)人間の存在そのものと、その関わり合いから生まれる悲劇以外のなにものでもない。
くたー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ここに出てくる誰を断罪したとしても、それは人の存在というものの一部を全否定することなのではと思ってしまうほど、様々な人物を通して「人間の特徴」というものが網羅されている。その人間そのものに視線を向けさせることに、細心の注意を払って作り上げられているように思えた。

このようなドラマティックな要素を持つ話の中でも、あえて目の醒めるような美男美女など一人も出さない、むしろ見た目冴えない人々しか登場させない。そして器ではなく人物の(内面から滲み出る)一挙一投足や表情だけで、これだけ画面を見せてしまうことにまずは感服。

さらに、弱さゆえのエゴは存在したとしても、映画の中に恣意的な悪意がほとんど存在しない。ここに最大の信頼を感じた。堕胎の仲介のおばさんだって、ヴェラのように温かい家族がいたらどうだっただろう。しかもこの時代背景で、働き盛りを過ぎた女性一人で生きていくことを考えたら、単純にどうこう言えるのだろうか。

そしてヴェラ・ドレイクという善意の人を、心根の美しさが奇跡を起こす類の描き方ではなく、むしろ彼女を通して善意の限界を描いている。心根は美しくても、その存在はあくまで小さい。あくまで素朴な善意で行った行為が、気づけばその背中に人間の多くの不条理やジレンマを負わされる元となってしまっている。堕胎の是非という具体的なことはもとより、突き詰めればそれは「何をもって人が人を裁くのか」という大いなる命題にまで至る。

彼女の行為が世間に露見した後、「このまま消えてなくなってしまいたい」とばかりに、彼女の肩や背中はさらにさらに小さくなっていくかのようだ。まるでその背中よりもはるかに大きな何かに押し潰されていくかのように。何よりその荷の重さを思うと、いたたまれなくなる。曖昧な善悪を、どのように彼女が悔いればいいのだろうか。

だた一つ思ったのは、事件の内側にある視線と、それを外側から見る世間の視線は、決して同じものを見ているとは限らない、ということ。彼女のような人が世間から簡単に「悪人」のレッテルを貼られることが、今の時代にもないとは言い切れない、ということ。

限定された時代と、限定された道徳倫理を背景にした物語ではあるけど、それが人間にとっての普遍的なものにまで至っている。そしてそれは、物語が後世まで残り続けるために、何よりも必要不可欠なことであると思う。

(2006/3/4)

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)スパルタのキツネ けにろん[*]

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