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[コメント] ワイルドバンチ(1969/米)

ペキンパーによる西部劇への鎮魂歌。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 ペキンパー監督の手による本作は西部劇の傑作にして、古き良き西部劇に終止符を打った作品と言われる。

 確かに西部劇はこの時代になって曲がり角に来ていた。そもそも西部劇はアメリカの建国物語と不可分で、そこには大地に根ざした父祖の歴史そのものが刻まれる。歴史を持たないアメリカという国が自らの手で神話を作り出した帰結である。だからそこに現れる男達は、たとえどれほどだらしなくとも、人間的には褒められた所がなくとも、神話の登場人物として行動している。映画がアメリカでもてはやされた理由を私なりに考えると、アメリカ人にとって映画というのはそもそも自分たちが負って立つ神話を与えてくれるものだったからだったと思う。西部劇とは、まさにアメリカ人が求める自分たちのアイデンティティそのものだったのだ。

 しかし、時代の流れは残酷だった。テレビの登場によってその神話はブラウン管に封じ込まれたお手軽なものになり、しかもこれまでのように同じテーマを繰り返し見せるには限界が来てしまった。しかも折からのマカロニ・ウエスタンのヒットにより(アメリカ国内では当初あまり振り向かれなかったが、徐々にそれも西部劇の一つとして受け入れられていく)、これまでの手法では、西部劇は成り立たなくなっていた。この時代が映画における神話の終焉となる。

 そんな時に監督となったのがペキンパー。彼はおそらく正統的な西部劇を作りたがっていたのではないかと思うのだが、時代がそれを許してはくれなかった。結果、デビュー作である『荒野のガンマン』(1961)からして、西部劇の本筋からは離れたような作品となってしまった。

 しかしそこにペキンパーは活路を見出したのだろう。以降異色とされる西部劇を作り続けていき、自らの腕を磨いていく。その集大成として登場したのが本作といえる。ここにはお上品な主人公は登場しない。むしろ人を決して信用せず、ただ生きるため、金を儲けるためだけに破滅的な人生を進んでいく悪人ばかりだ。パイクは『荒野のガンマン』や『昼下りの決斗』(1962)同様、もう若くはなく、死ぬ前に何かしらでっかいことが出来るのではないか?という思いで行動してる。それを追うソーントンだって、決して正義のために行動してる訳じゃない。彼らは結局自分自身の儲け話のためだけに行動し、結果として内部分裂起こして自滅してしまう。確かにソーントンは生き残るけど、それは結局それは死ねなかったというだけに過ぎず。結局彼も自滅とも言える革命派へと身を投じていく…結局全てを手に入れたのは一番歳を食った老人のサイクス。なんとも皮肉なラストだ。結局この虚しさこそがペキンパーの魅力と言っても良かろう。結果的にこの物語自体が終わりを告げようとしている西部劇への手向けへとなっているようにも見える。だからこそ、彼らの行動は常に寂しさと隣り合わせなんだろう。それは次作『砂漠の流れ者 ケーブル・ホーグのバラード』(1970)により顕著に表れている。  その中でペキンパーの代名詞とも言えるストップモーションの使い方は冴えに冴える。冒頭の銃撃シーンは今観ても充分に唖然となるほどのすさまじさで、そこで平気で味方を見捨てられるパイクの性格もよく表れていた。中盤の展開はちょっとばかりかったるくはあるが(これがマイナス要因になるんだけど)、後半になってのお互いに裏切るんじゃないか?という緊張感のまま展開する話は緊張感に溢れ、ここもペキンパーの真骨頂と言えるな。アメリカン・ニューシネマの一本としても名作に数えることが出来るだろう。

 さほど私は銃に詳しくないので受け売りなのだが、ラストの銃撃戦ではなんとブローニングM1917重機関銃やコルト45口径M1911など、近代殺戮兵器を駆使しての修羅場だったのだそうだ。もう一度観てそれを確認してみたい所ではある。

(評価:★4)

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