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[コメント] MAROKO 麿子(1990/日)

「御先祖様万々歳」との違いは、ちゃんと理由があり、押井守監督がやろうとしていたことも自分なりに納得はしている。だけど…
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 あらかじめ断っておくが、私はこの元である「御先祖様万々歳」が大好きである。押井守作品の中でも最高に好きな作品の一作と言っても良い。LD-BOXが出た時には発売日当日に大枚はたいて購入もしている(後に中古BOXが高騰していて驚いたものだが)。

 結局監督はOVA版では不完全だった舞台劇としてこの作品を作り上げたのだろう。視点は主人公である犬丸に限定され、犬丸が見ていないシーンは劇中には登場しない。そのため、犬丸個人の弾き語りという形を取ったのも分かる。そして、この作品は犬丸当人にとっての真実の物語であることも。

 それは分かる。分かっているのだが、肝心の「御先祖様万々歳」を観ていない人にはこの作品は謎だろうし、観ていた私としても、これが成功したとは到底思えない。OVA版があれば劇場版はいらない。

<追加>  以降は『御先祖様万々歳』について。出来で言えば、素晴らしいの一言。この作品は舞台劇そのものだとはよく言われるが、それは当然。このアニメは舞台劇をアニメでやってしまおうと言うのが基本コンセプトなのだから。だからこのアニメ、メイン画面ではカメラ・ワークはほとんど無し。真横からだけで、しかも同一視点で作られているのが特徴。場面場面において特殊な映像表現が用いられてはいるものの、まるで開き直ったかのような(実際開き直ってるんだろう)限定されたカメラ・ワークには驚かされる。ここまでカメラを動かさない(あくまで登場人物がカメラ目線で、正面を向いているのが特徴でもある)作品は多分アニメでは唯一だろう。真横から、しかも縮尺まで変わらないメイン画面だからこそ、特殊なカメラ・ワークが映える。

 更にここには場面場面において合いの手が入るという凝りようで、舞台的な雰囲気をますます醸している。舞台から離れると、音がくぐもって聞こえるという演出もあり。実は第5話で舞台を一瞬後ろから見るシーンがあるのだが、なんと本当に観客がいる!あのシーンは本当に仰け反り、そして次の瞬間手を叩いて喜んだ。成る程、これは本当に“舞台”だったんだ。第5話で父親の甲子国が天井に向けて拳銃を発砲すると、舞台用の照明が落ちて来るという細かい演出もあり、小技が実に冴えている。

 内容としては、社会的な枠組みの中での「家族」のあり方をメインとしつつ、個人の内面の捉え方としての「家族」と、概念としての親と子の関係を、おおよそ不条理な存在として登場する麿子の存在によって際だたせている。実に哲学的内容が内包されており、観れば観る程、味わいが増してくる。

 尚、劇場版の『麿子』はこの作品を主人公の犬丸の視点だけで抜き出して描いている。あくまで犬丸は一人称として、この『御先祖様万々歳』を見た物語なのだが、ここでは麿子という存在が一体何者であるのかの種明かしがされておらず、結構ストレスが溜まる。

 ところでこの作品の収録は、劇場版『パトレイバー』と同時進行して行われていたと言う。『パトレイバー』が大きな専用スタジオで、きっちりとスケジュール通り撮影されている合間に、小さなスタジオに駆け込んで狭いスタジオで押し合いへし合いしながらアフレコしていたそうだが、こっちの方がはるかに楽しかったそうな。『パトレイバー』が傑作たりえたのは、結局この作品の存在に負う所が大きいらしい。私はこっちも大好きだけど。

(評価:★3)

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