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[コメント] 海辺の映画館 キネマの玉手箱(2019/日)

純粋な映画愛と、これまで監督が培ってきた様々な要素をまとめずに一本の映画に押し込めたような作品。それだけにまさしく遺作と呼ぶに相応しい作品。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 華々しいデビューと共に、低迷にあえぐ80年代の映画を牽引してきた、日本を代表する映画作家大林宣彦。2016年に肺がんが発覚して以降、闘病生活を送りながら『花筐』を監督。生きている間に完成は不可能と言われながら見事に映画を完成させた。その後は再び闘病生活に戻っていたと聞いていたが、2020年4月にお亡くなりになったと聞いた。

 その際、意外なことを聞いた。まだもう一本の映画を作っていたというのだ。まさに真の意味での遺作の作品がこれから世に出る。

 これだけで劇場で観るには充分な理由となるだろう。

 だが公開直前に新型コロナウイルスの蔓延によって映画館も閉鎖され、いったいいつになった観られることやらとやきもきしていたが、なんとか映画館も再開できたので、ほぼ真っ先に観に行った。

 本作は一見脈絡がない夢のような作品である。一種のファンタジー作品と言って、間違いはない。映画の中に入り込んで以降、時代も場所も関係なく、主体すらコロコロと変わりながらどんどん話が展開していく。悪く言ってしまえば、本当に脈絡がなく、単に目の前に流れる映像についていくだけになる。はっきり言うが、本作は映画の体裁を取ってない。どっちかというと前衛の舞台劇みたいな作品だ。

 しかし、それを“味”と見るなら面白さが出てくる。

 三点ほど面白い部分が見える。

 第一点としては、日本の映画監督がみんな辿る道であるという事。概ね映画監督というのは最晩年の作品と言うのはどこか似た傾向を持つようになる。それは現実世界と死後の世界がどんどん近づいてきて、その境が曖昧なものになっていく。特に最晩年まで映画を作り続けてきた監督にそれは顕著で、例えば黒澤明の『まあだだよ』(1993)とか新藤兼人の『一枚のハガキ』(2010)なんかがまさしくそんな感じだろう。まだ生きていて、新しい映画作りに燃えている宮崎駿の『風立ちぬ』(2013)なんかも傾向としてはまさしくそんな立場にある。「幽明境を異にする」という言葉が作品にも現れてくる。

 そんな立場に立ってみると、本作はまさしく監督にとっての遺作に相応しい作品と見ることが出来るだろう。巨匠と呼ばれる日本映画の重鎮の遺作。それだけで本作は意味がある。

 第二点として、死者と生者の交流というのは大林監督にとってのテーマの一つだったという…。それこそデビュー作の『HOUSE ハウス』の時から死者と生者の交流の話を描いていたとが、『さびしんぼう』や『異人たちとの夏』、そして『あした』と、どれも死と生の境目が曖昧で、死者と生者の交流がなされている。最後の作品はそのテーマに沿ったものと考えれば、これもやはり監督の遺作としてはふさわしさを感じるものだ。

 そして三点目になるが、これは監督の愛情を感じられると言うことだろう。映画監督の大部分はそうだろうが、映画そのものに対して深い愛情を込めている。主人公の名前が馬場鞠男というのもなんとも面白いが、なんでもこの名前は監督が元々変名として考えていたものだったとか。マリオ・バーヴァがそんなに好きだったのが不思議と言えば不思議で、一方でなんかストンと納得できる気もする。そして、広島に対する愛の深さも。尾道三部作を作っているだけに監督は尾道が大好きだが、故郷の広島にたいして大きな愛情を持っていたことが本作からも伝わってくる。広島を描くなら原爆とは切り離せないが、その原爆を直接描写したのは監督では初となるだろう。それは最後の最後の締めくくりとして、広島愛を語るために必要なパーツだったのかも知れない。

(評価:★3)

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