[コメント] カジュアリティーズ(1989/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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実はこれ観た当時はかなり首をひねってしまったものだ。ものすごく失礼な言い方をすれば、「全然面白くない」である。話自体が陰惨なだけで、『プラトーン』の劣化コピーか?とも思えたし、戦争中にどんな残酷な事があっても、軍隊だったら仕方ないんじゃないか?と言う、とてつもない失礼な考えが私自身の中にもあった。何より主人公がフォックスじゃいくらなんでも軽すぎる。後味の悪さも酷く、違和感受けまくり。
そんなわけで、本作は長らくレビュー書く気にもなれなかったし、私の頭の中では駄目作品に入っていたままだった。
そして、たまには戦争映画のレビューも入れてみようか?と言う思いで本作を頭の中で思い出してみる…
あれ?ひょっとして俺、全く見当違いのこと考えてなかったか?実はこの作品、かなり面白いものだったりして?
改めて考えてみよう。
『プラトーン』いや『ディアハンター』以来、劇中で描かれるヴェトナム戦争とは狂気の戦争であり、周囲の狂気に主人公も感染してしまって、過激に走る傾向があった。本作でもそれは描かれてはいるのだが、主人公エリクソンは周囲の狂気からは一歩離れ、正気を保っている。この視点は逆にこの時代に作られたものとしては珍しいのかも。
戦争の中で正気を保つ。昔作られた映画のほとんどはこのタイプだった。アメリカは戦争に勝ち続け、そして新しい秩序を作る側に立っていたのだから、戦争に勝った方が狂気にかぶれてはいけないという考えが強かったからだろう。
だがこの意識はヴェトナム戦争で変化した。正義とは一体何であるのか?それが分からなくなってしまったのがこの戦争であるなら、それに参加した兵士はその最先端にいる。当然ながら彼らはアイデンティティを喪失してしまい、更に過去とは比べものにならないストレスにさらされる。それで狂気と言う描写がなされるようになったと考えられる。
でも、そうは言っても実際には戦場に出かけた兵士の大部分は実はエリクソン同様ほとんど正気を保ったまま戦争を終えているものだ。むしろ非日常に放り込まれてしまった一般人が、いかに自分自身を保ってきたかと言うことが本作の一番の見所なのでは無かろうか?そう考えてみると、狂気に身を任せないと言う立場自体がユニークなものだと考えることも出来るし、リアリティという意味ではこちらの方が良く作られているのかもしれない。
『ジャーヘッド』という湾岸戦争をモティーフにした作品があったが、これは本当に全く戦闘を経験しない一兵士が観た戦争を描いていた。この作品は別な意味でのリアリティを感じさせる作品だったのだが、この作りは本作で描かれるリアリティに近いし、これを観た後だからこそ私も本作を考え直せるようになったのかもしれない。
更にそう考えると、フォックスをここで起用したのも説明がつく。
彼はある意味“現代の若者”の代表としてここに存在するのだろう。この作品は公開時から20年も前の話ではあるが、もし狂気の支配する場所に、現代の若者が飛び込んでいったら?と言うイフの物語として考えるなら、フォックスはまさしくうってつけの配役となる。彼は戦場の狂気に冒されることなく自我を保っている。それは80年代の個性を伸ばす教育によって、周囲にあるあらゆるものに疑問を呈し、全てを突き放して観る事に慣れている。そういう人間がヴェトナム戦争を体験するならば、このような反応を示すだろうという例として挙げられているのでは無かろうか。60年代の若者とは違った立場かもしれないが、この方が観ている側の共感を得られやすいし、何故彼が狂気に冒されなかったのかも説得力は付けられる。
如何せん本作を観た当時の私はそこまで考えることが出来なかった。
監督が求められる以上のものを作ってしまった結果、それが余計なものにしか見えないと言う、悪いところばかりが目に付く作品になってしまったのが本作の失敗だったのかもしれない。考え直す時間が出来たことは幸い。
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