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[コメント] ダーティハリー2(1973/米)

本作で本当にハリーは“ダーティ”になりました。1作目よりも実は本作の方が好きです。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 一作目『ダーティハリー』は確かに素晴らしい作品だったが、これは実はこの手の作品が初めてだから、その衝撃が強かったお陰だろう。実際今更になって考えてみると、演出などかなり泥臭い部分が見え隠れ。それに対し、本作の場合はもっと洗練されている(これは一方では凡百な刑事物語となんら変わりがないという意味でもあるけど)。改めて考えてみると、一作目よりも更に“ダーティ”という部分が主題になった作品である事が分かってくる。

 ところで“クリーン”と“ダーティ”は“正義”と“悪”と同義語だろうか?

 テレビの特撮番組や時代劇など観ていると、その辺はかなり明確に同一視されている。悪人ははっきりと“悪”を行い、人を苦しめ、そして自分が薄汚れた存在であり、悪であることを知っている。それに対抗する主人公が“正義”であり、悪は容赦なく滅ぼして構わない存在である。

 しかし現実世界ではどうか?(勿論私も含め)誰しも小さな悪を行っているのだし、正義のふりして見えない相手を糾弾することはあっても、現実に社会悪を見ても“必要悪”として見て見ぬふりをしたり、時として半分無意識で悪に荷担していたりもするものだ…最近のネット社会にはそう言う“正義”が溢れている一方、本当に現実生活で正義を行うことを恐れてもいる。

 本作の犯人である白バイ警官達は、極めてクリーンである。彼らは悪を認めず、見返りも求めずに悪の撲滅を目指している(ラストで本当はそうでなかったことが発覚するが)。一方、ハリーに代表される警察の主立った連中は悪があることを知っていても、それに手出しをしない。いや、出来ない。法の番人と言われる彼らも、そう言う意味では“クリーン”ではない。

 ハリーは警察組織の中ではいくら“ダーティ”というあだ名を付けられていても、本当の“正義”というものを求めている存在である。だからこそ、“クリーン”な“正義”を求める白バイ警官の連中からの誘いもあった。ただし、彼はいくら“正義”を求めていても“クリーン”にはなれない。

 この葛藤を観ている側が考えさせられるからこそ、本作はとても面白い。単なる勧善懲悪ではなく、悪と正義、クリーンとダーティの狭間を垣間見させてくれる。  結果的にハリーは自分自身を“ダーティ”なままで受け入れる。この世界が何も変わらず、自分のしていることが対処療法でしかないとしても、それでもその“ダーティ”の中で“正義”を貫く事を選び取るのだ。その姿が又格好良いのだ。その姿に限っては、一作目よりも明確な格好良さを持っていた。

 実際、その狭間で人間は生きていくしかないんだよな。

 演出は一作目と較べるとかなり洗練されているが、ニューシネマの影響を受けてか、過剰な演出よりも、スタントによる生の演出を心がけているのも評価としては高い。人間が出来るアクションに止まっているからこそ、リアリティがあるってもんだ。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)YO--CHAN CRIMSON

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