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[コメント] 笑の大学(2004/日)

スクリーン右手では、緑色の「非常口」案内灯が、いつになく魅惑的に輝いていた。
町田

左右対称・シンメトリックな画面構成は、役所演じる検閲官の堅苦しさ・威圧感・圧迫感を補足・強調するために、取調室やそこに至る廊下、庁舎の入り口に於いてのみ現れるべきである。浅草の劇場街や、劇場の外観、内部に至るまでをシンメトリックに捉えてしまうことは、浅草軽演劇の面白さや、破天荒なパワーから目を背けているのと同義である。その躍動感を圧殺するばかりでなく、対立要素としての取調室での緊張感をも、結果的には飛散させてしまう。レトロポスターに頼り切った時代表現も陳腐の極みで、二日目、三日目などの時間経過表現も中学生の学園祭以下のシロモノだった。ラストも白々しく、映画的・空間的開放感も一切ない。

それが、星譲風なのだ、といわれれば、そうなのかも知れない。TVでは、それが効果を発揮していたのかもしれない。しかし、これは映画である。TVでも、演劇でもない、映画である。映画の手法は、映画を面白くせねば、映画の説得力を増幅させねば、意味がない。映画にはコマーシャルも入らないし、裏番組も存在しない。星譲の、何かに脅えているような、卑屈な、それでいて自己満足的な、いうなれば親の急襲を恐れながらする正座オナニーのような演出技法は、俺には決定的にあわない。

帰ってやり直して来い、とは云わない。もう、映画なんて撮るな、とも云わない。

ただ、俺は、アンタの映画は二度と見ない。

(東宝の株主優待券を購入して、『SAW』を観にいったら「ここは東亜興行です」と断られたため、時間の都合も在って本意でなく鑑賞した作品。星譲がTV作家なのも知っていたし、稲垣が俳優・コメディアンとしてSMAP中最悪だということも認識していたので、今から思えば何としてでも避けるべき作品であった。三谷は嫌いではないが、香取を起用した深夜番組しかり、最近は自分の脚本力を過信し過ぎているように思える。優れたギャグは、優れた喜劇役者が、最高の「間」を持って発するからこそ、その面白さが成立する。座付き作家だから、ギャグの間が悪くてもいいのだ、という考え方は安易で、むしろこの役には、尋常ならざる喜劇センスが必要なのだ。それを稲垣に演じさせようなどとは片腹痛い。昨今の美男なだけの若手漫才師と不細工な女性ファンとの間に取り交わされる馴れ合いのような、非常に一過的な、場当たり的な、儲け第一主義的な、非映画的な、俺にとってはまさに忌むべき作品である。しかし、そんなことは鑑賞前でも容易にわかる事だった。にも拘らず、それを選び取った俺が愚かなのである。必要最小限の情報から、最高の取捨選択をと心がけてはいても、一年に一度か二度は、自分の感性とは全く合わない、こういう手合いの前に腰掛けてしまう。今後の教訓とすればいい?否、同じ過ちを繰り返すことに何の生産性もない。くだらない映画を観ても豊かになるものなど一つも無い。)

(評価:★1)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)煽尼采[*] ぽんしゅう[*]

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