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[コメント] 誘う女(1995/米)

この映画には、ニコール・フェチ垂涎のシーンがいくつかあるが、最もそそられるのがやはり教壇の上に彼女がお行儀悪く腰をかけるシーンだろう。ところが残念なことに、ここがとってつけたようなシーンで出来が悪い。
ジェリー

ニコールのおご馳走シーンは他にもいくつか出てくる。これがすべてよくない。これがなければ、この映画意外に悪くないのに。たとえば………

タイトルバックは百編の映画作品に一つ二つあるかといえるくらい素敵だ。バーナード・ハーマンを思わせる、物言いたげで、スリリングで、滑走感のある音楽のバックに、冬のニューハンプシャーの風景が数点。この風景が、決定的に重要な季節の描写であることがずっと後になって分かってくる。その次の新聞の紙面のショット群も手際よいうまさ。ごちゃごちゃ語らずにニコールふんするスーザン・ストーンが夫殺しの容疑者であることがたちどころに分かってくる。ヒッチ・タッチをもたれずに消化しつくした技巧を感じさせる。ガス・ヴァン・サント、悪くないじゃないか。

エンディング・タイトルもしゃれている。スーザンの義姉ジャニス・マレットが凍った池の上をスケートで滑るシーン。映画を最後まで見た人には分かる、この皮肉な演出は皮肉を通り越して一種の聡明さすら感じさせ、すっきりした後味で観客を明るくなった映画館内から送り出すだろう。

一見時制の不明なスーザンのアップの自己解説シーンが映画のいたるところにはさまれるが、いい伏線である。ややこしい作りをこのまない人にはうるさくてしょうがないかもしれないが、美人の顔がアップで映るのが悪かろう筈はない。このシーンの時制が映画のラスト近くになって明らかにされるが、このネタ明かしも知的で素敵だ。この後につながるショックとの対比効果も十分。

捜査の過程をあまりしつこく描かなかったのもお利口だ。この映画は、警察映画ではない、スーザンの映画であるということを貫徹したよい作りだ。逮捕から公判にいたるまでの経緯を思い切り割愛し、かつ必要十分な裁判結果の情報提供もなされている。

キャスティング、これは天国的に絶妙だ。ニコール・キッドマンは言うまでもない。夫役のマット・ディロンも3バカ高校生のホアキン・フェニックス / ケイシー・アフレック /アリソン・フォーランドも太った放送局経営者ウェイン・ナイトも適役ぞろい。特にホアキン・フェニックスのきれ具合には快哉を叫びたい。

この頃のニコール・キッドマンの役者としての上り調子具合と、この役の中身の虚実の混交ぶりにも瞠目した。地なのか演技なのか分からないという意味では『アイズ・ワイド・シャット』を超えているのではないか。いやあ、ガス・ヴァン・サント、実に観客を知り尽くした職人である。一言で言えば、最近の作品らしからぬ手際のよさ、よい意味での軽み。

………などと、私は安心してこの映画をべた褒めできたのだ。あの教壇シーンがなければ!

ニコールの教壇の座り方の不自然さ、ボールペンをわざと落として拾うフリをするケイシー・アフレックの姿勢の不自然さ、これをなんで挿入したのだろう。全体説明できる位置からの俯瞰カット一発入れただけで、このシーンの、映画の中に占める無意味さが白日の下にさらけ出されてしまう。なんでこんな無防備で拙劣なカットをガス・ヴァン・サントは入れてしまったのだろう。残念でならない。他にも、車の前でミニスカートではしゃいで踊るシーンや、窓際で膝を抱えて座り込むシーンなど、青春初期男子高校生向け画作りに励んだところがことごとくダメなのである。

プロデューサーの影響か?それとも、人気取りを狙ったニコールのわがままごり押しインサート画像か? この玉石の混ざり具合に混乱しつつも、舞台裏に対する興味は今も尽きないでいる。結局3だけど。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ぽんしゅう[*] sawa:38[*]

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