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[コメント] ゴジラの逆襲(1955/日)

怪獣対決というコンセプトがここで初めて登場した。アンギラスとのストロングスタイルの戦いは見ごたえがあった。しかし、人類との戦いはしょぼかった。
ジェリー

雑感を少し。

 続編なのに、この製作スタッフの交代は何だろうか。監督も音楽も変わっている。良くなったわけではない。高いテーマ性は消え、山根博士も早々に画面から消え、オキシジェン・デストロイヤーが使えないという設定や、ゴジラがジュラ紀の古生物の群として生き残っているという設定だけはやたらとクリアに残っている。(そのくせ映画には1匹ずつしか出てこない・・・) この設定が残された理由は、今後のシリーズ化を企図した東宝上層部の注文だろう。芹沢博士の発明が残されたままでは、ゴジラがすぐ倒されてしまうからだ。

戦後10年経つや経たぬやという時期の作品のため、灯火管制など、切ない活動が出てくる。実経験のある人たちが制作にいるために、焦土の光景がやたらにリアルである。このリアルさも切ない。空軍の生き残った戦友たちがもう一度集まるというストーリーも切ない。往時の焼け跡や爆弾のにおいを記憶している人たちは、どのようにこの映画を見たのだろうか。娯楽映画として楽しむだけの心の余裕が保てただろうか。ちなみに私は、スピルバーグ版『宇宙戦争』を見て、地震被災の体験を思い出し具合が悪くなった経験がある。

そういえば、「ゴジラ」命名の理由について、大戸島の伝説の生き物からとったことが、第1作で明らかになっている。大戸島には怪物にいけにえとして少女を差し出すという話までついており、ヤマタノオロチ神話のパターンが踏まえられている。生き物に、古い神話や伝説の生き物を当てはめるパターンは現実に存在する。キリン、リュウグウノツカイ、タツノオトシゴなどを思い出す。

ゴジラの動静を伝えるラジオがオンキョーラジオ。このオンキョーというメーカー、私が50年ぶりに「ゴジラ」を鑑賞した日に、偶然にも破産した。

若山セツ子が本作に花を添えている。綺麗である。第1作の河内桃子も可憐だった。

大阪のダンスホール、小泉博と若山セツ子が躍るところ。社交場という言葉がぴったりする。また、弥生という北海道の居酒屋。この男たちの飲み方は既に今と全く変わらない。ゴジラ映画は昭和の戦後風俗も伝えてくれて懐かしい。

それにしても、第1作の船上ダンスシーンもそうであったように、若い男女のダンスシーンの後にゴジラは登場する。突然さのインパクトを狙ったものか。

本当に雑感ばかりである。この出来栄えでは、雑感しか描けない。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)シーチキン[*]

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