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[コメント] キル・ビル Vol.2(2004/米)

めちゃくちゃな設定ゆえのシンプルで力強い情動。それにすべての矛盾や破綻を「忘れさせてしまう」かっこいい見せ場。VOL.2で結実したタラのB級作品への回答。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
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興味をかきたてるエピソード、練られた構成、気の利いた台詞に選曲。何よりも観客を楽しませることを考えて作品を撮りヒットもさせつつ、独自のスタイルも獲得している監督が、なぜ好きだとはいえB級作品のオマージュみたいのを作りたがるのか、VOL.1を観たときはよくわからなかった。が、監督は、自分をB級作品群にひきつけて止まないものが、B級作品にはあるのに自分の作品にはないというものを何か感じ取っていて、その溝をどうしても埋めたくなったのではないだろうか?

予算や時間や思想が削ぎ落とされ、なにはともあれ観客の欲に忠実であることだけを使命とし、面白ければ何でもありという中で、設定は軽んじられ、登場人物の喜怒哀楽はシンプルでわかりやすい傾向が好まれる。そして何より物語の矛盾や破綻を強引にねじ伏せる見せ場作り。ここにB級作品の「動機」と、「意図」と、「技術」があるのではないだろうか?

キル・ビルとは、結局自分が面白いと思うものを、自分で作れるようになるために、その動機と意図と技術をすべて再現してみるという試みだったのではないだろうか? これは単にオマージュとかリスペクトとかいうものではなく、自分のスタイルの脱構築のように思えるのだ。なぜそう思うのかというと、VOL.1の、子供が学校から帰ってきて挨拶しながらの死闘、それと対を成す本作の妊娠検査薬の使用説明を読みながらの死闘という場面など、きっちり監督オリジナルらしい見せ場も作り、この線でも充分に作品を作れることを示しているからだ。しかし、タラはもはやそういう巧さだけで一本作品を成立させることに満足できなくなったのだろう、この2つの場面の間に万国殺し屋デスマッチを雑多なB級アクションのスタイルごとはさみこみ、そしてあえてめちゃくちゃな話になったものを、最後に強引にしめくくる見せ場を作ってみせることで、B級作品の精神そのものを自分がつかみとり新しい地平を切り開こうとしたように思う。それが最後の五点掌爆心拳を放った際のシーンとジャーンという音楽に結実している。

そして何より重要だったのは、彼が本来は得意なんだと思うが、登場人物の情動を深く描くことができたという点だ。アクションは見た目だけのものではなく、むしろそれに伴う情動こそが重要なのだ。『レザボア・ドッグス』の潜入刑事や、『パルプ・フィクション』のボスの女といい仲になるやくざ、金時計を取り戻そうとするボクサー、『ジャッキー・ブラウン』の、できる男をみせたくてあせるロートル。彼らの感情のさざなみこそがドラマを牽引していくのだが、どっちかというと構成の巧さなどが目立って、そこのところはあまり注目されなかったように思う。が、こういうエモーションを描くことがとても上手い作家だ。それがB級スタイルの中で、よりシンプルで力強いものとして描くことができたように思う。

これらは、すべてあて推量かも知れないが、キル・ビルにはタラにしかわからない(というか一般人には理解しがたい)情熱がある。そんな個人のどこを向いているかわからない地平に向けて、ともに歩んだスタッフ、とりわけ2作品に分けても構わないとしたプロデユーサーと、タラと一心同体となったかのような、「これふつうに仕事と思ってやれないでしょ」というようなユマの演技には感服した。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)りかちゅ[*] けにろん[*]

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