[コメント] 鬼畜大宴会(1998/日)
どれだけ凄惨な画を見せつけられても、残るのは、「まだ何も見ていない」という渇き。
ヤりたいことヤり尽くす、その徹底した姿勢は支持するが、ただそれだけで何の葛藤もないならば、それこそ「自慰」と揶揄されても仕方ないだろう。
本当に「狂気」とは、あのようなものだろうか?
本当に「暴力性」「破壊性」「残虐性」とは、あのようなものだろうか?
私には、ステロタイプ的、一面的、表面的な擬えとしか映らなかった。それを証拠に、後半のリンチの過程は、「ああ、次はああするんだろうなあ…ああ、やっぱりヤっちゃったか。」の連続だった。ああいうのは、既にアングラビデオでやりつくされている世界ではないか、しかも本物で。
もうひとつ気になったのは、前半の蝉の声に代表される「説明的」な音の羅列だった。
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