[コメント] 鬼が来た!(2000/中国)
古来、桃太郎の時代から「鬼」は異邦人→コミュニケーションの取れない異者を指した。憎悪と不信が醸成する究極的な「ディスコミュニケーション」。そして憎悪は想像/創造され、「ディスコミュニケーション」は制度化される。システムが走り出せば、もうそこには「戦争」しかないのである。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
戦慄も笑いもテーマをここに求めた本作は、日本人も中国人も、等しく互いに「鬼」であること、そして、「鬼」は憎しみと無知に依拠する幻想としての政治に創り出されることを説く。日本人に非があるとかどうとかより、それは勿論このケースでは非なのだが、俯瞰的な視点を持って世界に観てもらいたい。
グロテスクな悪魔としての日本人を知らしめるというテーマではない。それは、自己弁護としての意味合いにおいて述べるのではない。通信と移動手段が発達し、「世界が小さくなった」今でも、この世界には「鬼」が多すぎるのだ。
トリアー的カタストロフに単純に人の醜さを読み取り反省することから一歩進んで、「鬼」であらねばならなかった花屋と、何より「互いを知ることによって」、「鬼」であることを望まなかった象徴としての「通訳」の末路に、私たち日本人だけでなく、世界が学ばなければならないことは多すぎる。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。