[コメント] 鬼が来た!(2000/中国)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
思えば『紅いコーリャン』が上映された1987年(実際に鑑賞したのはもっと後だったが)の衝撃がこの作品にダイレクトにシフトされたことを認識せざるを得ない。
1988年頃に日本で中国の新人監督の作品が上映されて、評判となったころのことを強く思いだしてしまう。あの映画も日本軍に対する血の映画だった。
あの映画で日本軍に立ち向かった役の俳優がこの映画の監督とは知る由もなかった。
彼らには明らかに「抗日」というトラウマが存在し、ただ、それが政治的なものではなく、あくまでも歴史とその当時の実情を映すための文化としての道具であって、マスコミが騒ぐ”あれ”ではない。そこがチャン・イーモウにせよチャン・ウェンにせよ、日本で評価される奥ゆかしさなのだと思う。
紅いコーリャンで真赤に染まった畑のシーンを考えると、この映画のディテールはとても工夫がほどこされていて舌を巻く。
全体がモノクロで表現されていること、話が深刻であることと反比例して、この映画に出てくるすべての人物は面白おかしく、殺意を感じない。村の住民も戦争が終わって考えを改めようとする時期に、生きることを優先し、庭で次々に殺される人々のことを観劇でもするかのように陽気に見ている。
この不思議な感覚は何なのだろう。史実であったとしても、日本人の我々からは想像できない世界がそこにはある。
ただ理解しようとすることと、この映画を受け入れることとは感覚が異なる。映画とはそういうものなのだ。映画的な表現が積み重なることで、人種や世界を越えた認識を共有することができる。この映画の良し悪しは映画に語られるストーリーではなくて、そこに表現されている過激で複雑でおかしな環境を心で認識することだろう。
ラスト数分は息を飲む。
何度も何度も刀を首に振りかざし、そこに漂う空気がどんどん緊張を増す。そして首筋の蟻をよけ、一気に刀が振り下ろされる。
そして、残されたシーンは赤い大地だ。死んだ男の首からようやく現実のカラーの世界が目に入る。それまでモノクロだった強烈なシーンから、死ぬ間際になってはじめて現実のカラーを認識する。
こんな衝撃なシーンは見慣れない。それでもこの感動は何を意味するのか?
生きることの辛さ、死ぬことの喜び。その相反する現実を、映画の画面で一気に語ろうとする技は見事といわざるを得ない。
中国映画の未来は明るいと思う。
素晴らしい作品だった。
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