[コメント] 修羅雪姫(2001/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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嗚呼、薄い内容すぎて意識が薄れ、反面眠気が濃くなり、内容が酷なってきた…。
はい、誰が何を言おうと、これは典型的なアイドル映画の末期症状が出た映画です。アイドル映画ではなく新たなアイドル映画だと思っているそこの人、『セーラー服と機関銃』とどう違い『モーニング刑事。抱いてHOLD ON ME』『ピンチランナー』等とどう違うのか説明を求めます。あなた達は薬師丸ひろこが見せたあの勇姿をもう忘れたのか。釈由美子とどう違うよ?薬師丸ひろこの方がすごいギャップでリアルに本質が出ていた。
私は、「アイドル映画ではない」と判断するのに、その作品のヒロインが主人公が、その作品のアイドル以外の誰が演じても成立するかを考えて判断する。この映画の場合は、釈由美子がいなければ単なるレンタルビデオ店の片隅におかれたVシネではないだろうか。てか、内容はモロVシネだしVシネ…いや、Vシネがランクが低いって思われそうだから、ここは“深夜枠のコソーリ人知れず放送されているアクションドラマ級”に決定。
とりあえずビール的に、衝撃的な新たな境地を見せたら良いってもんじゃないし、付け焼き刃的な事務所が仕掛けたトリックを見て、その女優転向志向のグラビアアイドルに同情する。無理矢理ではないが、吉岡美穂のイタリア語講座(NHK教育)や井川遥のフランス語講座(同)は行き過ぎであり、裏が見え見えで萎える。そしてこの映画も萎え萎え。
日本刀振り回して、見た目釈由美子と180度違うビジュアルである島田久作六平直政佐野史郎に埋もれて演技してみました、だけでは駄目なんだよ。そこに作品自身の持つ力が、監督の演出力が無ければ終わりなんだよ。宮沢りえのヘアヌード写真集『Santafe』、少し古くて秋吉久美子の銀幕での裸体を何だと思ってるんだ。これじゃあ、釈由美子が可哀想。
あと、無表情の演技ほどやりやすいものはない。本質(または女優としての素質)が見えるのはむしろ、一瞬見せる笑顔と泣き演技に見られるものではないだろうか。私はこの、佐藤信介のフィルターで見た釈由美子が本質ではなく、“脱がせ屋”高須基仁が紙面で文字にした釈由美子描写を参考にするならば、
「彼女の目はヤンキーそのもの。修羅を見てきたであろう、非常に強い目だった。(中略)彼女に癒しを与えられたという感覚は皆無で、鋭利な刃物を向けられているような錯覚に陥った。」(「こんな女としゃぶしゃぶ喰いたい!」サイゾー 11月号 2002より)
この刃物のような「ボケキャラ」「癒し系」とは違う鋭すぎる眼差しとのギャップを欲しいんだよ。強い刀使いの女剣士だけでは魅力は出ないし、魅力を出そうとしたいなら反動を利用しなければ出ないだろうからだ。そう思うえば思うほどに、違う監督の下で演じたら凄いだろうなと感じて釈由美子のポテンシャルの高さを感じてくる。
男性同士のことしか、アクション映画のことしか知らず女を知らない人間が作るとこうなるということを投げかけているのだろう。この映画は噛ませ犬だな。続編?もう勘弁してくれ。
2003/1/20
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