[コメント] 光の雨(2001/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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単なる再現ドラマにせず、今を生きる人間を参加させようとする試みはいい。それが上手く作用しているかは別にして。あの時代を客観視するバランスを崩してしまったのでは?と思える部分もある。そこが大杉漣演じる作中の監督の描写の甘さにあらわれていると思う。しかしそれによって考えさせられた事もある。
(以下の文章は実際の連合赤軍、あさま山荘事件に対する評価ではなく、あくまでも映画を観ての感想であることを初めに断わっておく。)彼等はその求めるべき思想にではなく、人間の心の闇、本能のセオリーに従った、反理性的な物に支配されてしまっているにすぎないように思える。極端な例をあげると、ナチのユダヤ人虐殺だっていきなりアウシュビッツの大量虐殺から始まったわけではないのだ。ある日突然ユダヤ人の店に特殊なマークがつけられる、そんな些細な事から始まり「いつのまにかそういう事になってしまった」のだ。彼等の場合、狭い閉ざされた空間の中、非人間的な思想の純化のスピードを更に急激にあげてしまった為に、外部からは異常に見えるにすぎない。彼らの言う「あの時代」とは、そういう狂った磁場が、程度の差こそあれ、様々な場所で生まれた時代だったのではないだろうか。だからこそ「あれは自分だったかもしれない…」という感慨を抱くのであろう。そんなくだらない(と、傍観者であればこそ唾棄したいが、それでは自分はくだらなくないのかと言われれば否なわけで、その感情は憧憬と共にあるアンビバレンツなものだ。)事に三十年後もふりまわされ、作品を捨てて逃げるなんて、作中の監督は映画ナメとんのかー!と思わず言いたくはなるが、それだけの重い何かがそこにあるのだろうと思わせるエピソードではある。
しかし作中の監督の葛藤、そしてそれをめぐる人々の葛藤が「光の雨」という作中の映画作品と分離している感は否めない。そして描ききれていない。脚本の出来不出来はともかくとして、今だに答えを出すことが出来ない、その時代を生きた当事者でなければ知る事の出来ない深淵というものもあるのかもしれない…とも思う。萩原聖人の「貴方達は自分達の間では昨日のように語るくせに…」という問いかけが、この映画の最も価値のある部分の一つであり(個人的には裕木奈江の演技が一番だけどね)、その答えは監督自身の中にもないのではないか。
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