[コメント] 軽蔑(1963/仏)
「美しさと格好よさはゴダールでも随一」とはこれを以ても云い切れないのだからゴダさんの才能は破格だ。海辺に場を移した後半はむろん、前半チネチッタのシーンもバッキバキにキメまくる。試写室から外に出てきたフリッツ・ラングが煙草を喫むカット! 女性通訳が自転車で街セットをすいすい走るカット!
ザ・フーが二〇〇六年に発表したアルバム“Endless Wire”に収められた楽曲‘It's Not Enough’には「ゴダール『軽蔑』のブリジット・バルドーのように、私はあなたを満たすほどにあなたを愛することができない」という歌詞があります(めちゃ直訳)。どうやら恋人同士の満たされない関係について歌われた楽曲のようで、ザ・フー(ピート・タウンゼント)とゴダールというのは私の中では結びつき難い存在だったので少しばかり驚いたのですが(ロジャー・ダルトリーが「ライク・ブリジット・バルドー、イン・ゴダールズ・ル・メプリ」なんて詞を歌う日が来るとは!)、実際にこれは『軽蔑』に触発されて制作されたものだそうです。あるいは、これがタウンゼントとパートナーのレイチェル・フラーによる共作曲であるという事情もあるのかもしれませんが、それはともかくとして私が云いたいのは、『軽蔑』はやはり(他の創作のインスピレーション源となる程度に)普遍的な感情や関係を描いた映画ではないかということです。たとえば私自身にしても、この映画のブリジット・バルドーやミシェル・ピコリの気持ちというのはハッキリ云ってよく分からない。よく分からないけれど、なんとなく分かるような気もする。つまりそれは「言葉にならない」ということですが、バルドーもまた「言葉にならない」を背負ったキャラクタなのでしょう。そして、ときとして「映画」がまったくワケの分からない代物になってしまうのも(また私はそれを求めてもいるのですが)「言葉にならない」ものの表現を目指しているからにほかならないはずです。
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