[コメント] 軽蔑(1963/仏)
メタフィクショナルなカメラのカットから始まる。スタフ・キャストのクレジットは無く、ナレーションで読み上げられる。撮影者のラウール・クタールが、カメラをパンし、レンズが観客に突きつけられる、というオープニング。
ベッドでのミシェル・ピコリとブリジット・バルドー。バルドーの裸の臀部。横臥したバルドーを見る、という快楽を追及した映画としてこの上ない。
一方、初期のゴダール中でも、最も格好よく、簡潔で引き締まった画面・場面が連続する傑作と云えるだろう。チネチッタ撮影所での通訳のフランチェスカとピッコリ。スタジオの玄関から出てきたジャック・パランスは、赤いオープンカーで移動するのに、ピッコリとフランチェスカは徒歩で道をショートカットするという振る舞いの面白さ。この後の、バルドーが加わってパランスの家へ向かう段取りの悪さから引き起こされる断絶の納得性。ピッコリのアパートでの延々と続く会話劇だって、人物の出入りのコントロールや画面の色遣い、端正なカッティングの醍醐味が溢れていて、決して退屈することはない。そして、カプリ島の場面はため息が出るほど美しく、かつスペクタキュラーなのだ。
もう一つ。本作では、ジョルジュ・ドルリューの音楽が、甘美かつ悲痛な感情を生起させて、画面の情動を調えることに最大限に寄与している。この音楽がために、本作を傑作と感じる部分も大きい。
しかし、素直にグレートムービーだと感じてしまうという意味で、ゴダールにしては物足りない。(って素直じゃないけれど)
#ゴダールの音楽がドルリューっていうのは、本作のみかも知れない。初期のゴダールはもっぱら、ミッシェル・ルグランと組んでいる。対してドルリューはトリュフォーとのコンビ作が多い。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (1 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。