コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] EUREKA(2000/日)

「一体化によって得られる知」と「観察によって得られる知」は、本来は別個として存在し決して交わってはならない。この2つの平面を、観客は受動的に感じ、一方で能動的に知覚し、双方を組み上げることで、映画は三次元足り得るのだ。しかし...
Kavalier

観客は役所広司に感情移入することでロード・ムービーへ主観的に「一体化」し、「一体化」した彼の主体から他者のトラウマを葛藤を「観察」する。「一体化」と「観察」が合致した時、この映画では、観客と一体になった主人公が他者を縮図化する作業を延々と続ける。この段階ですでにフィクションとしての資格を失っていると思えてならない。言わば、虫瞰視点の虫と化しながら、他の虫にとってその虫は神になる。そして、「一体化観察」によって語られる内実は扇情的な社会事象を記号へと変換された一次元世界だ。

しかし、映画はこのただの線を三次元に変換する為に、作品の世界を縮図化させ、不特定の観客の日常と地続きであると錯覚させる手法を採択する。フレームの端で切断された画面と意図的に使用された不自然なノイズは、手法的リアリズムにおいてのみ機能する。 つまり、観客は俯瞰が不可能な3時間もの長い一本の線が立体と虚視する技法的レトリックに感嘆を上げるのだ。

つまり、高尚っぽいワイドショー。

(評価:★2)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。