[コメント] みな殺しの拳銃(1967/日)
宍戸がアップの切り返しに巻き込まれると、顔の対比によって彼はアンパンマンという人相学の被験体に過ぎなくなる。そのクラストの厚みはさまざまな不随的事象を体系づける。何よりもアンパンの感情表出が困難だ。
岡崎二朗は宍戸の感情を翻案するあまり、宍戸の本体の如く振る舞い始める。岡崎は二谷英明のリーマン顔を減速材として利用しながら、全く自制の効かない宍戸を殺人マシンとして操っているのか。しかし最後に岡崎が目撃するのは、血だるまになったアンパンが苦悶に歪むありえない猥雑さである。
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